末息子の誕生日が近づいた5月末のある日の午後、息子が愛用していた走行距離214000マイルの日本車M社のSUVをパワーウォッシュで洗浄していたときのことでした。
私は、毎年一家で過ごしたオーシャン・シティ(東海岸デラウェア州にある海岸)の海辺でのサマー・バケーションの風景を懐かしく思い出しながら、今では遠くの町で暮らす次男のお気に入りだった赤と白の縦縞のシャツを彼のクローゼットから取り出してきて、去年バーゲンで買ったばかりのG社のキッズ用の、紫色を基調とした原色だけの大胆な草花のデザインをあしらったサマードレスの上にあわせて、水圧をあげてSUVのルーフトップを洗っていました。
洗車を始めてしばらく経つと、私から15メートルほど先のガレージの入り口のところに、夫が静かに立っているのに気がつきました。もしかすると彼も遠くに行ってしまった子どもたちのことを案じて寂しがっているのだろうか、と思った私は、目深に被った麦わら帽子で隠れていた顔をあげると元気よく日本語で「どうしたの~っ、Pく~んっ(夫の愛称)?!」と、SUVのルーフよりさらに高いところから、彼に呼びかけました。すると、夫は笑顔を見せて「かわいいヨ、Mちゃん。」と、日本語で答えました。
こんなことが口をついて出るなんて、やはり夫は、次男の愛車を見ながら悲嘆にくれているに違いありません。私は脚立代わりに使っていたバー・スツールから、よいしょと降りてパワーウォッシュを一旦止めると、帽子を脱ぎながら夫の方へ近づいていきました。
夫は、右手に持っていた携帯電話のカメラの画面に目を落としたまま私に向けて「ほらア、かわいいヨ。」と、もう一度言いました。どうやら彼はしばらくそこに立ったまま、目深に被った帽子の向こうの景色が見えない私が時間をかけて息子の愛車を洗っている様子をカメラに収めていたようなのでした。
子どもたちがそれぞれに独立していなくなってしまった今、ついに夫とふたりだけになってしまい、写真を撮る時も撮られる時も一人ずつ、そうでなければ、庭の草木や小さな動物達や周りの自然の風景だけになってしまったのだ、これからはここでふたりきりの余生を歩んでいくのだと思うと、一抹の不安と虚無感が混ざり合った複雑な感情が一気に込み上げてきて、思わず涙がこぼれそうになりました。それでも、買い換えたばかりの携帯電話のカメラの性能が思いのほかよかったことを思い出しながら、ぐっと涙をこらえて着ていた息子のシャツで両手を拭うと、どれどれ、と言って、カメラの画面をのぞき込みました。
ところが、彼の撮った写真を全て見終わらないうちに、私は「一体何これ?」と問いただしてしまったのです。
高品質のはずの画面には、5年以上前のビーチ旅行のために次男に買ってあげたゴム草履をはき、オーシャン・シティのプロのサーファーも顔負けするほどの水しぶきをあげながら、脚立代わりに使っていた古いバー・スツールの上で前のめりになってシルバーのポンコツSUVを洗車している私の姿が写し出されているではありませんか。
笑顔の夫は「ね、かわいいでしょう。」を繰り返します。
私は思わず、「かわいいって・・・一体何これ?これじゃあ、ミート・ザ・ペアレンツ2に出てきたバーニーじゃない。」と言い返してしまいました。
写真に写っている、紫や赤や緑といった原色使いの大柄な葉っぱのデザインのワンピースの上に、ブカブカの次男のシャツを法被のように羽織り、ゆうに頭のサイズの2倍はある麦わら帽子を乗っけて、すぐにでも粗大ごみとして処分したほうがよさそうなバー・スツールの上に立つ自分の姿がどう見ても、なぜか映画の中で ― はたして、あの映画の中にそんな場面が出てきたかは疑問ですが ― 家中のどこに座っていても摩訶不思議なお香の匂いが今にも漂ってきそうなエキセントリックな雰囲気が漂う居住空間の中で、ヒッピー風の突飛な装いでコミカルに演技を繰り広げる日焼けしたダスティン・ホフマン扮する父親バーニーの姿に重なってしまったのです。
先刻は、子どもを案じ涙ながらに彼の愛車を洗車していたのに、これではどう見ても、かつて横浜のランドマークタワーで週末の度に見かけた大道芸人か「息子がついに出て行ってくれたの~、ばんざーい。」と諸手をあげて喜んでいる浮かれた母親にしか見えません。
夫の美意識を疑いながら、「Pくん、日本語ではね、こういうの、『かわいい』っていわないで、『ちぐはぐ』というの。『チンドン屋みたい』とかね。大体洋服の柄がシャツとドレスじゃ全然マッチしていないし、よれよれでちっとも綺麗じゃないじゃない?しかもゴム草履でこんなガタピシ来ているスツールの上に立っているところじゃなくて。。。普段の、わたしがもっとふつうのときの写真、撮ってくれない?」と言うと、夫は入れ替えたメモリーカードに入っていた他の画像も見せてくれました。
アルバムの中の自分は、ある時は塀の上によじ登ってアメリカン・ロビンの巣があるトランペット・バインの上から蔓の中の巣を覗きこもうとして顎にぴたりとカメラをくっつけて構えていたり、またある時は、枯れ果てたトウモロコシ畑で黒子さながら頭のてっぺんからつま先まで真っ黒な装束に身を包みしゃがんだ姿勢で枯れた葉っぱに向かって話しかけていたり、どれもこれもちょっと異様なのです。私は自分の目を疑いました。
これが自分の実像だったとは ― 。
アルバムを見終って落胆する妻を励ますため、夫は一言「要するに、君はとてもアバンギャルドな奥さんだってわけなんだよ。」と言うと、小柄な私の肩をポンポンポンと軽く叩いて、再び洗車のためにバースツールに戻る妻の労を、心からねぎらうのでした。