数年前まで、私の家から少し離れた農村部に、町はずれの刑務所で看護師の仕事をしているカナダ人の友人が住んでいました。彼女は、50エーカー以上の土地の一角に羊を飼い趣味でウールのひざ掛けなどを作りながら暮らしていました。看護師の資格を取る前に専門的にテキスタイルを学んだというだけあって、室内装飾やカーテンやソファーの生地や色合わせにこだわり、フィラデルフィアの建築会社で働くアメリカ人の建築家の夫と二人で、リビングルームの床板を張ったり壁にペンキを塗ったりしながら、自分の発想を日々の暮らしの中で見事に具現化させながら人生を謳歌しているのでした。
私が彼女に初めて会ったのは、日本から越して間もない2001年の冬、新しい学校に転校したばかりの長男が「学校のカフェテリアで『スーシー(「ス」にアクセントを置きます:寿司)が大好きだ。』という子としゃべれて、とてもうれしかった。」と言いながら帰宅した数日後、寿司が大好きなその子が、週末に息子を家に招待してくれ、母親であるJと中学生になったばかりの彼女の娘が息子を迎えに来てくれた時のことです。
子どもたちをお互いの家に送り迎えしているうちに意気投合し、そのうちJと私は、一緒にランチへ出かけるようになりました。カナダのノヴァスコーシャ出身の彼女は金髪碧眼で英語を母国語としていても、「ここではあまり親しい友達ができない。とても閉鎖的な土地柄で、娘も仲良しの友達ができない。」と、しばしばこぼしていました。ふたりでどこかへ出かける時彼女はよく「移民」という言葉を使ったものでした。プライス・ライトという食料品店に出向いた時も - そこは商品の値段が非常に安価でメキシコ料理の材料となる品揃えが豊富なせいか、南アメリカからアメリカ合衆国に移住してくる買い物客が多い場所なのですが— 、そこでも「ここには私達のような移民が多くいるのね!」と感嘆の声をあげていました。
ある日の午後、いつものように二人で掘り出し物がないかどうかグッドウィルを覗いて、行きつけのチャイニーズ・レストランでランチを堪能した後、彼女の牧場で羊に餌をやっていた時のことです。
Jは、「そうだ、M。私ね、知り合いにジャーマンアイリスとホスタスを沢山もらったのよ。あなたにも株を分けてあげるから、バケツに水を張ってその中に入れておいて、2,3日中に土に植え替えるといいわ。このギボウシという植物は少し大きくなったら、根っこごと切り分けて移植しながら増やしていくといいのよ。」と言うと、ボルボの後ろに牽引車を取り付けDIYのお店から自分で運んだ何トンもの土と根覆い用のマルチを積み上げて作った花壇から、球根から生長して花が咲く直前のジャーマンアイリス何本かと小さなギボウシの株を掘り起こして、少しずつ分けてくれました。
帰宅した私は、早速土を掘り起こしてせっせと小さな株を植え始めました。その秋には、少し大きくなったギボウシを、言われた通りに根っこごと半分に分けて別の場所に植え付けてみました。
そして、翌年も、そのまた翌年も。。。
私の株はどんどん増えていきました。Jがフロリダに家を買い、両方の家を行き来しながら暮らすパターンを続けそのうち向こうで生活するようになってしまってから再会することはなくなりましたが、彼女がくれたギボウシは、今では車庫から玄関へと通じるウォークウェイ沿いに家を囲むような形で42株に増え、裏庭のほうも30株ほどに増えました。玄関前のは真上から見ると直径が80センチ、花をつけると高さも140センチほどのジャンボサイズに成長したので、遠くから眺めてもかなり圧巻です。
先月咲き始めたギボウシの小径を眺めながら夫は、しみじみと「ボクの方のストックマーケットの株はさっぱりだけど、家の前の株は見事なものだ。Mちゃん、株は、君が増やせばいいよ。」と、のたまうのでした。
やはり、田舎はアメリカでも閉鎖的なのですか?
日本だけかと思っていた。
日本の都会から移住する田舎暮らしは、地域の行事に積極的に参加しないと、浮いてしまうという話はよく聞きます。日本の都会人勤め人は、米国人に比べて極めて不器用で、本当に、何もできない人が大勢います。つまり、大工仕事やメカニック、配線、料理など手仕事が全くできない。というか機会がなかったというほうがいいかもしれません。箱入りですね。
住む人同士の価値観や知識が共通していないと暮らしにくいのは想像できます。
フロリダは全米からリタイアした人が来るから、暮らしやすいのかもしれませんね。都心部では凶悪犯罪は多いでしょうが。日本で言えば沖縄ってとこですか。石垣島に直行便が出来てから東京からの週末移民が増えて、マンション建設による自然汚染が問題となっています。
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私は15年の間に日本とアメリカ間を何度も往復し、2~3か月の短期のホテル滞在を含まなくても10回は住居が変わったので、閉鎖的な場所に住むことにも慣れて無頓着になり、あまり気にならなくなったのかもしれません。
一般論として、NY、ロス、シカゴ、デトロイト、ワシントン近郊など大都市や他の中小都市の郊外に住んだ場合、必然的に色々な人種が混じり合うので、オープンに、わりと固定観念や偏見なく交流できるのかもしれませんね。カナダ人の友人は、結婚してNJに住んでからここに越してきたので、様々な部分でかなり比較していました。
当地に家を建てるにあたって、Census(国勢調査)を調べた際、10年以上前でさえアジア系の人種は0.2パーセントとかいったような数値だったように記憶しています。近所のチャイニーズレストラン以外で日本人を見かけたことは一度もありませんでした。(その後、年配の日本人の方々が数人住んでいることがわかりましたが)私の場合は自分はともかく、子どもたちにとって文化的な背景が違う土地柄で大丈夫かな、という懸念はありました。長男はわりとすぐに馴染めたようですが、些細なことに傷ついたりして一番上の娘と次男は慣れるまで6ケ月ほどかかりました。
ところで、DIYに関していえば、ここに家を建てる前もそれが生活の一部でしたが、新築の家に夫と床板をはったりペンキ塗りを始めて以来それが自分の暮らしのスタイルとなりつつあるところに、牽引車で6トンもの土を運ぶ彼女のバイタリティを目の当たりにしたことで(日本では、普通の主婦がそこまでするなど到底考えられませんから。)更に、業者に依頼する前にとにかく自分で修理したり、作ってみる、という習慣が定着しました。DIYで快適空間を作り上げるのは主婦の務めと自負する女性が多いのは、根底に流れる移民(開拓民)の精神(血かな?)に所以するのかもしれませんね。。。
なにはともあれ、彼女に出逢ったことで、アメリカの主婦が胸をはって自分を「homemaker」と呼ぶことに納得がいきました。
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わ~いいな~^^ 今編物に夢中になっておりますので、羊の話、興奮しました!
私は実は動物のにおいが苦手なんですよ。
でも、鶏を飼って卵を手に入れることと、羊を飼って毛糸を手に入れることに、興味深深なんです~。
偏見を覚悟で言っちゃいますけど、ネブラスカも閉鎖的ですよ!
ザ、中西部って感じで。
彼(チェコ人)も親しいアメリカ人の友人が「沢山」できないって、ぼそっていってたことがあります。
私もそう思って、ぶりぶり言ってた時期がありますが、今は関係ないって思いますね。だって、私は特にかもしれませんが、親しい人って所詮「沢山」は持てないものだし、いったん親しくなれば、人種とか国籍とか民族とか地域性とか、超えるんじゃないかな。
私も、アメリカ人のよい友人が数人いますが、彼らだけだったら物足りなく思うかもしれないし、日本人の友人ばかりだったら、息苦しい(スイマセン 笑)かも。両方もてて幸せです。ステレオタイプはあるかもしれないけど、結局個人によります。
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素敵なお話でしょ!彼女の家のリビングに入ると、いつも、それこそウールの肌触りが伝わってくるような温かさを感じました。機織り機とか毛糸を巻く機械もあったしそれは楽しい家でした。。。Fujiyoさんのお店の手編みの毛糸の帽子も、とても素敵ですが、ぜひ羊を飼って挑戦してみるのもいいかも。。。(笑)
以前テキサスのラテン系アメリカ人の友人が、ハワイに修学旅行に行った生徒を見ていると、東海岸から来たのか西海岸から来たのかすぐにわかる、と言っていました。オープンさやフレンドリーさが全然違うという彼の意見を主張していましたが、どうなんでしょうね。。。西海岸には住んだことがないのでわかりませんが、ネブラスカもそうだったんですね。。。
本当に心が通じ合える人は、沢山はできないというのは確かかもしれませんね。世界にひとりかふたり心から理解し合える人がいるのでしょうが、ほとんどの場合が、その誰かに出逢うことはなく、偶然出会った人々との邂逅のみで一生を終わるのですよね。
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