大家さんの二階で荷作りを済ませ、帰り支度を整えた私は、叔母といっしょに電車を乗り継いで、東京駅に向かいました。
 最後の乗り換えをした後、列車の窓際に座っていた私は、通路を隔てて反対側の窓の外の景色を眺めていました。あちこちで交差したり一本に交わったりしながら複雑に入り組んだ線路の上で、他の車両とぶつからないように身をかわしながら進んだり後退したりして、うまい具合に進行方向を見つけてすいすい動く車両の群れをぼんやりと見ているうちに、私は、数年前に母方の祖父母の住む家の前の駅のホームで見た光景を思い出しました。

 小さな町から大きな町へと引っ越して行ってしまう男の子とその子の家族は、列車に乗り込んで座席に着くとすぐに、頭の上ぎりぎりまで重たい窓を引き上げて、窓の外に身を乗り出すようにして、ホームに立っていたわたしたちに向かって、手を振り始めました。
 保育園でヒヤシンスの栽培をした時に、向かい合わせにくっついていた机の隣りあたりに座っていたその子とは、話をする機会もあまりなく、男の子のおとうさんの方は、少し前に開かれた送別会で、嬉しそうにはしゃぐその子をおんぶしている姿を、一度見かけたことがあるだけでした。
 走り始めた列車が次第に遠のいても、窓の外に顔を出したまま手を振り続けていたその家族の顔が、完全に見えなくなってしまった時、それまでこらえていた私のまぶたに、急に涙があふれました。
 ぽろぽろと頬を伝う涙を母の前掛けの袂で拭いてから、顔を上げてみると、そこには、私以外泣いている人はひとりもいませんでした。母でさえ、にこにこと笑いながら、ホームに見送りに来ていた大人たちとおしゃべりをしていたのです。 

 東京の駅で、くすんだ列車の窓の外に見える線路の数を数えていた私は、ふと、あの時駅のホームでお別れをしたあの家族は、一体どこへ行ってしまったんだろう、と思いました。

 何時間経っていたのでしょう。わたしが眠りから覚めた時、列車は仙台駅に着いていました。私と叔母を乗せた列車は、わたしがぐっすりと眠っている間に、私たちふたりを、叔母の婚約者の住む町へと運んでくれていたのです。
 
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<次回に続きます。>

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