父方の祖母が商店を営む温泉街の外れに建つ新しい家に引っ越してから間もなく、私は母に手を引かれて初めて新しい学校に行きました。その日は、私の小学校の入学式だったのです。
 校門に立って真正面を眺めると、こげ茶色の二階建ての古い木造校舎がそびえていました。門を少し下って、なだらかな斜面が平坦になった辺りから始まる広い校庭の北側の校舎の前には、国旗掲揚塔や花壇がありました。二ヶ所あるうちの中ほどの入り口辺りには、帰宅後に祖母が教えてくれた「がくもんの、かみさま」の像も立っていました。
 外観の板壁には、雨上がりには湿った木の匂いが校庭いっぱいに漂ってきそうな木枠の窓が沢山はめ込まれていました。
 戸袋のない外壁を眺めながら、雨戸が隠れている場所を探してみたり、校舎の中の様子を想像したりしてみました。

 目の前の木造校舎は、階段が3ヶ所についていて従姉兄たちが全員集まった時にたとえ全員分の布団を敷いても、襖を開けると次の間にはもっと布団が敷けて、さらに奥の襖を開けると山や線路や駅舎が眺められるように、壁一面に大きな窓が設えられた次の次の間に続き、他にも数ある部屋のどの押入れの中からも、打ち直しされたばかりの綿の布団がどんどん出てくる母方の祖父母のお屋敷よりも巨大でした。
 また、長い廊下を挟んで両側にかくれがを探すための板戸や襖や障子が何枚もあり、八畳間の押入れの中の座布団全部を高く積み重ねてそのてっぺんに正座して転げ落ちないようにバランスを取って遊ぶための縁側もある、私の新しい二階建ての家よりも、もっともっと巨大でした。
 新しい家の二階の一間には「きよさん」が住んでいたし、母の実家にも富山の「くすりやさん」さんとか鎌倉の「かまくらさん」とか見知らぬ大人が始終出入りして寝泊りしていましたが、目の前のこの校舎の中にはもっと沢山の下宿人が住み込めそうでした。
 
 
 母が指差しながら教えてくれた西側の一年生の教室がある校舎の前には、ブランコもジャングルジムもありました。
 西側の校舎と北側の校舎をL字でつなぐ角の講堂の向こうにあるはずの、はげ山の頂上がほんの少ししか見えないほど、目の前の校舎は高くそびえ立っているのでした。
 私は、ひとめでその校舎が気に入りました。

 校門の前で写真撮影をしている人達の順番を待っている間に、ブランコに腰かけて国旗掲揚塔の日の丸の旗を見上げたり校庭を眺めたりしていると、誰かのおかあさんと話をしていた母が、お友達に会いに行こう、と弾んだ声で言いました。母は、履いていた私の袴のおしりの辺りについた埃を落とすと、お友達なんて一人もいないとためらっている私の手を引いて、すたすたと校舎に向かって歩き始めました。

 昇降口で素早くスリッパに履き替え、子ども用のスリッパに履き替えた私の手を引いて足早に講堂に入った母は、沢山の椅子が並んでいるステージの前に私を連れて行き、そこで待っているように促すと、真新しそうな白い上履きを履いて講堂をぐるぐる走り回ってお友達と遊んでいたひとりの女の子に声をかけました。
 ちょっとの間かがみこんで話をしていた母が、綺麗な髪飾りであげた前髪を額の上で留めていておでこが出ている女の子を連れてくると、その子は、初めて会う私に自分の名前を言ってから、大きな声で「おともだちになろうね。」と言ってくれました。 
 「なかよくなれるかな。」と私は思いました。私は着物を着て袴をはいていたのですが、その子はお洒落なワンピースを着ていたからです。

<次回に続きます。>

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