樹木の記 ~ 家族の風景

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この澄み切った空の色は
たしかに 
住み慣れた町を去り
新しい家に移り住んでまもない 
春の午後
目の前に 広がっていた 
あの時の 空の色と同じだ - 。

道端にたたずんで あの樹木を眺める度に
家族と過ごした あの頃を思い出す。

大きな家の中には
父がいて 母がいて 祖母がいて 

そして
そこには
いつも
子どもたちの笑い声が 響いていた。

廊下の柱に 顔を近づけると
ツーンと いい香りが 鼻孔をついて
天井にも 障子にも 
ふすまにも 床にも 階段にも
そこかしこに 木の匂いが漂う 
あの大きな家の中には
いつも だれかしら いた。

道端にたたずんで あの樹木を眺めるたびに
家族と過ごした あの頃を 思い出す。

木の香に包まれて 眠りについた
あの大きな家を 思い出す。

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忘れられない人々 16.木造校舎への入り口

 父方の祖母が商店を営む温泉街の外れに建つ新しい家に引っ越してから間もなく、私は母に手を引かれて初めて新しい学校に行きました。その日は、私の小学校の入学式だったのです。
 校門に立って真正面を眺めると、こげ茶色の二階建ての古い木造校舎がそびえていました。門を少し下って、なだらかな斜面が平坦になった辺りから始まる広い校庭の北側の校舎の前には、国旗掲揚塔や花壇がありました。二ヶ所あるうちの中ほどの入り口辺りには、帰宅後に祖母が教えてくれた「がくもんの、かみさま」の像も立っていました。
 外観の板壁には、雨上がりには湿った木の匂いが校庭いっぱいに漂ってきそうな木枠の窓が沢山はめ込まれていました。
 戸袋のない外壁を眺めながら、雨戸が隠れている場所を探してみたり、校舎の中の様子を想像したりしてみました。

 目の前の木造校舎は、階段が3ヶ所についていて従姉兄たちが全員集まった時にたとえ全員分の布団を敷いても、襖を開けると次の間にはもっと布団が敷けて、さらに奥の襖を開けると山や線路や駅舎が眺められるように、壁一面に大きな窓が設えられた次の次の間に続き、他にも数ある部屋のどの押入れの中からも、打ち直しされたばかりの綿の布団がどんどん出てくる母方の祖父母のお屋敷よりも巨大でした。
 また、長い廊下を挟んで両側にかくれがを探すための板戸や襖や障子が何枚もあり、八畳間の押入れの中の座布団全部を高く積み重ねてそのてっぺんに正座して転げ落ちないようにバランスを取って遊ぶための縁側もある、私の新しい二階建ての家よりも、もっともっと巨大でした。
 新しい家の二階の一間には「きよさん」が住んでいたし、母の実家にも富山の「くすりやさん」さんとか鎌倉の「かまくらさん」とか見知らぬ大人が始終出入りして寝泊りしていましたが、目の前のこの校舎の中にはもっと沢山の下宿人が住み込めそうでした。
 
 
 母が指差しながら教えてくれた西側の一年生の教室がある校舎の前には、ブランコもジャングルジムもありました。
 西側の校舎と北側の校舎をL字でつなぐ角の講堂の向こうにあるはずの、はげ山の頂上がほんの少ししか見えないほど、目の前の校舎は高くそびえ立っているのでした。
 私は、ひとめでその校舎が気に入りました。

 校門の前で写真撮影をしている人達の順番を待っている間に、ブランコに腰かけて国旗掲揚塔の日の丸の旗を見上げたり校庭を眺めたりしていると、誰かのおかあさんと話をしていた母が、お友達に会いに行こう、と弾んだ声で言いました。母は、履いていた私の袴のおしりの辺りについた埃を落とすと、お友達なんて一人もいないとためらっている私の手を引いて、すたすたと校舎に向かって歩き始めました。

 昇降口で素早くスリッパに履き替え、子ども用のスリッパに履き替えた私の手を引いて足早に講堂に入った母は、沢山の椅子が並んでいるステージの前に私を連れて行き、そこで待っているように促すと、真新しそうな白い上履きを履いて講堂をぐるぐる走り回ってお友達と遊んでいたひとりの女の子に声をかけました。
 ちょっとの間かがみこんで話をしていた母が、綺麗な髪飾りであげた前髪を額の上で留めていておでこが出ている女の子を連れてくると、その子は、初めて会う私に自分の名前を言ってから、大きな声で「おともだちになろうね。」と言ってくれました。 
 「なかよくなれるかな。」と私は思いました。私は着物を着て袴をはいていたのですが、その子はお洒落なワンピースを着ていたからです。

<次回に続きます。>

*   *   *

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忘れられない人々 15.イチョウの並木道

 温泉旅館がぽつりぽつりと立ち並ぶ温泉街の入り口の「歓迎」サインをくぐり抜け、商店街の並木通りを中ほどまで歩くと、私は、郵便局前の赤い郵便ポストをポンポンと叩いてから通りを渡り、そのはす向かいにある散髪店の大きなガラス戸の前に立ちました。
 額に両手をかざして中をのぞくと、目の前の奥の壁に掛けられた大きな鏡の前の椅子には、誰も座っていませんでした。
 入り口の右手の洗髪台の椅子にも、順番待ちのお客さん用の手前の椅子にも誰もいませんでした。
 普段は、たとえ椅子が全部埋まっていても、奥の住まいに続く暖簾の下を行き来しているおじさんの顔も見えませんでした。今日はおやすみだったかな、と思いながら引き返そうとしてガラスから離れると、暖簾がはらりと揺れて、奥から、水色がかった白衣を着たおばさんが白いタオルを重ねて持って現れました。

 店の前に突っ立っていた私を見とめると、おばさんは、洗髪用の椅子の方に向かいながら私を見て軽く会釈をしてくれました。私もお辞儀を返しました。
 重たいガラス戸を引いて中に入ると、散髪屋の中にはひんやりとした空気が流れていました。
 おばさんは、柔らかな声音で丁寧に、どこでもいいですよ、と言ってくれ、私は、その日も、鏡の中の景色を確かめてから真ん中の椅子に腰かけました。叔母さんがトントントンとペダルポンプを踏んで椅子が高くなると、大きな鏡台の鏡に映る自分の姿の後ろに通りのイチョウ並木がよく見えました。
 
 長じゅあん、いせや、郵便局のポスト、百貨店、神社、テニスコート、別荘のプール、バラ園の前のおっきな池、と心の中でぶつぶつ呟きながら、鏡に映らない通りのそのまた向こうの山の麓の景色まで頭の中で追いかけていると、鏡の向こうの景色の中の郵便局の赤いポストから、初めてお友達に出した手紙の返事が戻ってこなかった悲しい思い出とともに、ある風景が胸に去来しました。

 その日、一体何事が起ころうとしているかもよく把握できないまま、とにかく祖母のお店で買い物しながら興奮した様子で祖母と話していた常連のお客さんに言われた通りに、イチョウ並木の通りに行ってみると、理髪店と郵便局の前には多くの人が立っていました。大人はそれぞれ、小学校の国旗掲揚塔で見るのより小さなおもちゃのような紙製の日の丸の旗を持って、にぎやかにおしゃべりしていました。
 男の人たちが声をかけあいながら、その場にいた大人全員に行き亘るように旗を配っていました。一体どこからこんなに来たのかと思うほどの数の小さな旗が配られました。

 間もなく大声で、男の人の掛け声がしました。すると、どよめきと共に、私の周りの大人がそれぞれ手にした日の丸が、いきなりざわざわと音を立てて、私の頭の上で動き始めたのです。人いきれの中、ざわざわと音を立てつづける頭上の旗を見上げてあっけにとられていると、小さな日の丸の旗同士が擦りあって立てる紙の音はさらに高くなりました。
 人の波をくぐって少し前のほうへ行ってみると、左側に立っていた知らないおばさんが、私には回ってこなかった日の丸の旗を、素早く私の手に握らせてくれました。
 通りに向かって次々と身を乗り出す大人の大きな体に阻まれて様子が見えなかったので、私は、さらにするすると大人たちの体の脇をくぐって一番前の列に並びました。
 そして、温泉街の「歓迎」の看板の方からゆっくりとイチョウ並木の通りに入ってきた車の群れに向かって、手にした旗を大きく振り始めました。
 
 やがて、ゆっくりと私たちの前に近づいてくるピカピカに磨き上げられた黒塗りの車を見とめると、旗を持った大人たちが一斉に声をあげました。
 「車が通り過ぎるまで目を閉じるな。」と、隣りのおじさんに言われた通り、私は、大きく左手で掲げた旗を振りながら、瞬きもせずに近づいてくる車を見つめていました。そして、車が私のすぐ前を百貨店の方に向かって通り過ぎた瞬間、ぐるりと振り返り人ごみの中から抜け出ると、祖母のお店に向かってわき目も振らずに駆け出しました。
 お店の中に駆け込み、即座に今しがた見たばかりの光景を祖母に報告すると、祖母は、右側の後部座席のそのお方が日本の「天皇陛下」で、その日「天皇皇后両陛下」は県内への行幸の折、私が住む温泉町の一番奥の旅館へ向かわれていることを教えてくれたのでした。
 
 目の前の鏡の向こうには映らないあの日の風景を追っている私の横に立った理髪店のおばさんは、何も語らずに、穏やかな表情で私の前髪を切りそろえてくれていました。生ぬるい空気が停滞した店の中には、いつまでも、チョキチョキと私の髪を切るおばさんのハサミの音だけが鳴り響いていました。
 引っ越してから初めて、以前に住んでいた町のお友達に宛てて書いた便りへの返事が届くことはありませんでしたが、目の前の鏡に映る新しい通りの風景は、こんな風にして、思いがけない様々な出会いを私に約束してくれるのでした。
 

 
<次回に続きます。>

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忘れられない人々 14.ピアノの部屋

 その部屋の扉を開けると、左手の壁際に設えられていたピアノの鍵盤に向かって、一番上の従姉のHちゃんが楽譜をめくっているのが見えました。
 今日は一体何を歌うんだろう、と思いながら、神棚と仏壇が祀られた畳の部屋と洋室の間に敷かれている床をトンと一段下りて洋室のほうに入ると、私は、白いレースのカーテンがかかった窓際に置かれた長椅子のほうに向かって行きました。
 
 長椅子には、新しいクッションが3つ置いてありました。薄紫や薄い桃色の生地を触りながら、折り紙細工の幾何学模様を施したような布表のデザインを見つめていると、ピアノの椅子に座って合唱のための曲探しをしていたHちゃんが振り返り、それは薄手の風呂敷で作られていると教えてくれました。
 叔母が裾のほころびを縫い直したばかりの、まっ白い木綿のカバーが破けないように、そっと長椅子の左端に上がって窓の外を見てみると、駅の向こうに、引っ越しする前に、キノコとりに行く祖父を追いかけて登った山が見えました。
 山は、以前にまして緑がより鬱蒼としているように見えました。
 窓の外を眺めていると、あの時、祖父と歩いた水田のあぜ道の風景が、まざまざと脳裏によみがえってきました。
 
 稲刈りはまだまだだな、と思いながら、緑たわわに生い茂る山に面したあぜ道にぽつんと立つ、傾きかけたハサ小屋に積み重ねられた丸いハサに気を取られながら、水田の細い畦道を歩いていると、どんどん先を歩いていた祖父が、一度だけ振り返って「かっぱ取るなよー。」と大声で叫びました。
 その言葉を聞いた私は、ぬめりのある畦道の草の上で滑って泥にズックをとられないように用心深くしゃがみこむと、風に揺れる稲穂の間から田んぼの水面をのぞき込みました。見ると、水面下に沈殿した泥土の中から、小さなカエルが顔を出していました。
 カエルを見ているうちに、さかなやのママの語り部の「河童」の姿を思い出して、その小さなカエルがいきなり、絶対そこにはいるはずのない河童に変身して、稲穂の溝の泥土の中から物凄い勢いで私の顔をめがけて飛び出して来そうな気がしてきました。
 急に背筋がぞっとして首を上げると、左手の方向に歩いていた祖父を探しました。祖父は既に、ずっと先を歩いてしまっていました。
 とうにハサ小屋を通り過ぎて、あぜ道のもっと先に建つ納屋の方に向かってどんどん進んでしまっている祖父の麦藁帽子を見とめて飛び上がると、私は、畦道の草が湿って地面がぬかるんでいることもすっかり忘れて、一目散に駆け出しました。
 途中でズックがズルッと滑って片方が脱げかけてカパカパ鳴っているのも気にせずに、私は、ひたすら祖父の背中だけを目指して、一心不乱に走り続けたのでした。

 ピアノの部屋では、久しぶりに会った従姉妹たちやわたしの姉妹が、それぞれに楽譜を持って、Hちゃんの伴奏で歌ったりおしゃべりをしたりしていました。
 合唱が終わり、Hちゃんが、洋間の棚の上に置いてあるレコードプレーヤーの上のレコードが傷つかないように、針先を見つめながら盤面にそっと針をおろして、黒いレコードが歪みながらぐるぐると回り始めると、叔母は「くるみわり人形」とか「白鳥の湖」とか「眠れる森の美女」とか解釈を付け、その度に、従姉妹たちが、オウム返しに叔母の言葉を繰り返すのでした。
 
 小学校に上がるずっと前にバイエルだけでなく既に沢山の練習曲を終えていた一番上の姉や、手の指だけでなく足の裏まで使ってエレクトーンを弾いていたすぐ上の姉や、教本を使わなくてもそらで曲が弾ける従姉妹たちに混じって、そこには、琴以外は何も弾けない私も座っていました。
 ピアノが弾けない私は、叔母やHちゃんが選ぶ曲のレコードに耳を傾けながら、本棚の中の本を探していたのです。
 ピアノの部屋の本棚には、沢山の日本の昔話や『アンデルセン童話』や『グリム童話』など挿絵がきれいな外国の絵本がぎっしりと詰まっていました。
 その日、私が夢中で読んだ中でとりわけ気に入ったのは『はだかの王様』」でした。
 次々と別の本を取り出しては本棚に戻し、また取り出してはページをめくり、最後の一冊を読み終えた私がふと顔を上げると、楽譜を持った従姉妹たち全員が、Hちゃんの伴奏と叔母の指揮で『羽生の宿』を歌っていました。
 一段下の洋室の床に座ったまま見上げると、和室と私が座っている場所を仕切っている板敷の床が、まるで舞台のように見えました。
  
 玄関を入ってすぐのその部屋に続く扉の前に立つ時、いつもドアノブを回すのをためらってしまうその扉の内側の不思議なその空間で、その日、私は、床にペタリと座って寛ぎ、いとこたちは、私の後方の駅舎の裏山に向かって「羽生の宿」を歌っているのでした。
 従姉妹たちの足元の向こう側には、ちらりちらりと畳の部屋の仏壇の座布団がのぞいていました。私は、しばらくの間、まどろみを誘うような従姉妹たちの優しい声音に耳を傾けながら、目の前の光景をぼんやりと見ていました。
 それから、慌てて本を閉じると、ステージの後ろに回って列の隅の方に加わり、おもむろに誰かの譜面をのぞき込んだのでした。

 <次回に続きます。>

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忘れられない人々 13.一粒のお米

 ようやく新しい小学校に慣れてきて、集団登校もしなくなると、私は、もうひとりのお友達の畳屋のKちゃんといっしょに、祖母のお店から小学校へ続く一本道を歩いて通学するようになりました。
 学校帰り、ガソリンスタンドのT字路でKちゃんと別れる頃には、温泉街の入り口の角に建つ祖母の米穀店の看板が見えてきました。
 
 いつものように、Kちゃんは、ガソリンスタンド脇の急こう配を下って自分の家に向かいました。Kちゃんは足取り軽くその小路を駆け下りていくのですが、私がKちゃんの家へ行くときは、少し先の家の前の杉並木に沿った平坦な小径を通るのが好きでした。
 畑を通り過ぎて、商店街のお菓子屋を営んでいるおじさんの家の青いトタン屋根や、理容店の有平棒がグルグル回っているのを見ながら八百屋の前にたどり着くころには、とたんに足の疲れがなくなり、ふたをし忘れたランドセルがパカパカ鳴って中から教科書や筆箱が飛び出すほどの勢いで、祖母のお店の手前のT字路まで全速力で走り切ることができました。
 
 エンジンをふかしたまま店の前に横づけしたトラックの荷台には、その日も、ランニングシャツを着たおじさんが2人立って、腰のあたりまでベルトがずれ落ちた薄茶色のズボン姿の黒縁眼鏡のおじさんに掛け声をかけながら、半俵の米袋を渡しているのが見えました。
 通りの向こうから、黒縁眼鏡のおじさんに「M、車来るぞー、気を付けろー。まだ渡るなよー。」としゃがれ声で怒鳴られる前に、いったん止まって右手のゆるやかな坂道を車がおりてきていないことを確認すると、急いで通りを渡ってお店の中に駆け込みました。
 それから、ズックを脱ぎ捨ててレジの奥の畳の部屋の祖母の座布団の脇にランドセルを下すと、飴色の陳列棚の中のお菓子をひとつもらって階段のほうからぐるっと一周して、旅館に配達するために積んである袋のてっぺんに腰をおろしました。そして、邪魔にならないように、3人が威勢よく作業に励む姿を眺め始めました。
 
 荷台の前の方に立ったおじさんが、よいしょと重たい袋を持ちあげると、後ろのおじさんに渡し、そのおじさんがトラックの下でお店の中に運ぶおじさんに渡すのです。日焼けした眼鏡のおじさんは、半俵の袋でも軽々と受け取ってはひょいっと肩にのせて、大股でお店の中に入ってきます。おじさんは、15キロのは2たい重ねて一気に担ぐことができました。10キロのは3袋重ねて運びます。額に手ぬぐいを巻いていても、おじさんたちの顔にはうっすらと汗がにじんでいました。
 
 ようやく作業を終えると、黒縁眼鏡のおじさんは、一息入れるために表に置いてあった丸い木製の腰かけに座ってタバコをふかし始めました。
 ひっきりなしに入れ替わるお客さんと畳の部屋にある電話の応対と、奥の壁面いっぱいのガラスの引き戸の前での売り上げの記帳とをひとりで切り盛りしながら、入り口で一服している米協のおじさんたちと大声で会話を続けている祖母に一声かけて、私は少し離れたところに建つ自分の家へ帰りました。
 
 食事の時間が終わろうとしていた頃でした。
 姉たちが「ごちそうさまでした。」をして手を合わせた後も、いつものようになかなかご飯を食べ終えることができなかった私は、食器洗いをし始めた母が背中を向けている隙に、中に半分は残っていたご飯茶碗のご飯を床に落として、「ご飯が床に落ちたから食べられなくなった。」と言ってしまったのです。
 
 母は、ぬれていた両手をエプロンの裾でぬぐいながら振り返ると、自分の手で、私がわざと床に落としたご飯粒を全て拾って私のご飯茶碗に戻して、一粒のお米を作るには農家の人々が朝から晩まで働いても一年かかることや、世の中にはご飯も食べられない人がたくさんいることを話し始めました。
 嘘をついた私のことを咎めずに「落ちたご飯は食べなくて良い。」と言って母が台所を出て行ってしまった後、ご飯茶碗を覗いてみると、せっかく母が焚いてくれたご飯が、すっかり冷えきって少し汚れてしまっていました。
 茶碗に顔を近づけて、「1、2、3、4、、、、」と数えているうちに、お米の粒の輪郭がゆがみ始め、私の目から、ぽろぽろと涙がこぼれ出しました。
 箸で一口、冷え切ったご飯を口の中に押し込むと、私は、誰もいなくなってしまった台所の中で一人、泣きながらご飯を食べ続けました。
 
 
<次回に続きます。>

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