忘れられない人々 8.ゆにせふさんの正体

 姉たちが、それぞれに自分へのお土産を手に取って笑いながら話をしていた時、「これはMの。」と言いながら、まんまるいほっぺたを紅潮させ、色あざやかな刺繍糸で施されたゾウさんの模様の黒のビロードのバッグを見せながら、母にバッグの中には何を入れたら良いと思うか相談していた妹は、ようやく、それにズックを入れて使うことに決めたようでした。

 あんな綺麗なバッグに上履きを入れるなんてもったいないと思いながら、私は、父に東京のデパートの食堂で叔母に教わったことを話し始めました。
 座っていた父の横に座りなおして、小包の中から取り出して卓袱台の上に置いてあった便せんや封筒や葉書といっしょに、手に持っていたアドレス帳を見せると、父は、手紙を書いて封筒に入れたら、郵便番号を一番上の四角の中に書き、右はしに住所を書いて、真ん中に友達の名前を書いたら「その下にかならず『様』をつけてから」切手を貼って、裏に忘れずに自分の住所を書いた後に、郵便局に持って行ってポストに投函することを教えてくれました。
 
 イチョウ並木の通りの床屋の向いにある郵便局の前の、あの赤いポストから出せばいいんだ、と自分に言い聞かせながら、卓袱台の上の葉書や封筒の表に、叔母やOさんや、母の実家がある町に今でも住んでいるお友達の名前と住所を書きさえすれば、郵便局が、遠くの町に住んでいるお友達のひとりひとりに手紙を届けてくれることを知った私は、すっかり有頂天になって、高学年の姉が夢中で読んでいて、あらすじを教えてもらったことがある「あしながおじさん」を思い出しながら、思い切って父に、「じゃ、ゆにせふさんにも手紙を出せば読んでくれるかな。」と言ってみました。せっせと手紙を書き続けてさえいれば、物語の登場人物ではない「ゆにせふさん」には、いつか会えるかもしれない、と思ったのです。
 
 一瞬怪訝な顔をして首を傾げて私を見つめると、父は、ゆにせふさん?と訊き返しました。私が、葉書を作っているのはゆにせふさんだと叔母に教えてもらったことを告げて、卓袱台の上に置いてあった葉書を父に見せると、葉書を手に取った父は、ああ、あれか、と言うように大きくうなずくと、私に、ちょっとおいで、と言って廊下に出て、私を、茶の間の隣の六畳の和室に連れて行きました。
 八畳間に続く襖の前と、仏壇の横と、廊下に続く襖の前に置いてあった3つの本棚の間を行ったり来たりしながら、ごそごそと分厚い本を取り出しては書棚に戻し、また別のを取り出してそれを開いてはページをめくりながら、天井からぶら下がる薄暗い電気の下で何かを調べようとしていた父は、あきらめたように、「Mがわかるようなのは、ここにはないかなあ。」と言いながら、部屋の真ん中に座って不思議に思っていた私に、小学校の図書室へ行ってみるようにすすめてくれました。
 
 何を読むために図書室へ行くのか訊くと、父は「ユニセフ」を調べるためだと言いました。父は、「ユニセフ」は男の人の名前ではなく、「国際連合の中のひとつ」で、「世界中の子どもたちの命を守るために働いている人がいっぱいいる団体」だということを教えてくれました。
 
 デパートの食堂できっと叔母も同じように説明してくれていたはずなのに、外国のお料理を食べているのに、その国の「こけし」も言えなかった私は、テーブルを挟んで向かい側に座っていた叔母が、一番大事なことを説明してくれている間中、うわの空で、いつか会ってみたいと強く願いながら「ゆにせふさん」の名前を空で言えるようになる練習をしていたのです。
 せっかく名前だけは、何回訊かれても即座に答えられるようになっていたのに、他のお友達とは違って、まぼろしの「ゆにせふさん」という人だけからは、何度手紙を出しても絶対に返事が返ってこないと知ったその夜、私は、早速小学校の図書室へ行ってみることにしました。

 <次回に続きます。> 
 
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忘れられない人々 3.ゆにせふさんの葉書き

 そのデパートのレストランの分厚そうなガラス窓からは、眼下に、雑然と並ぶ建物の屋上が見下ろせました。ガラス越しに柔らかな陽光が差し込む窓際の席で、叔母と私は、向かい合って座って、お料理が運ばれて来るのを待っていました。

 テーブル席に着く直前のことでした。
 レストランの入り口で、食品模型を見ながら何を注文しようか迷っていると、ガラスケースの上のほうに、横に一列に並んだボウリングのびんのような形の5体の「こけし」が見えました。
 こけしはこけしでも、並んでいる人形の目はぱっちりと大きく、原色の赤や緑やほかの色で施された色付けが華やかなので、その美しさに見とれながら、大きいのから小さいのまで見比べていると、叔母は、それらが外国から入って来た物で、真ん中のお腹のあたりをひねって開けることができ、一番大きなのの中にその次に大きいのが入り、そしてその次に大きいのがその中に入り、を繰り返すと、最後には一番大きなのの中に小さいのが4つ隠れてひとつになるしくみになっていることを教えてくれました。

 テーブルを挟んで向かい側に座っていた叔母に、何度教えてもらってもそのこけしの名前を覚えることができなくて、恥ずかしい思いで窓の外を眺めていた私に、叔母は、バッグの中から取り出した葉書を見せてくれました。
 叔母は、その葉書は「ゆにせふさん」が作っていて、何十円かのその葉書を買うと、1円とか2円とかが、外国の困っている子どもたちを助けることにつかわれるのだということを教えてくれました。1円とか2円とかじゃおばあちゃんのお店に売っているイチゴ味のチョコレートが買えない、と思いましたが、叔母は、外国には、ご飯も食べられないお友達が沢山いるけれど、沢山の人がゆにせふさんが作った葉書を買って1円玉でも沢山集まると、その子どもたちは、ご飯が食べられるようになることを教えてくれました。
 手に取って葉書を裏がえしてみると、そこには、私より4歳年下の妹にでも描けそうな絵が描かれていました。
 変な名前だとは思いましたが、小学校に入って初めてお友達になってくれた「ゆみこちゃん」の名前に似ていたので、心の中で呪文のように「ゆにせふさん」を繰り返していると、それだけは言うことができるようになりました。さっき、店頭のガラスケースの中のこけしの名前が言えなかったのが不思議なくらいでした。
 
 目の前に、それまで私が見たことがなかったようなお料理が運ばれてきました。
 テーブルを挟んで向かい側に座っていた叔母は、上手に「ゆにせふさん」が言えるようになった私を見つめて満足そうにうなずくと、鞄の中に葉書をしまいながら、叔母の家に帰ったら、その葉書をわたしにくれると約束してくれました。わたしは、いつかその葉書を作っているゆにせふさんに会ってみたい、と強く思いました。
 
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<次回に続きます。>

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