忘れられない人々 9.図書室の窓

 次の日、小学校の図書室に向かうために教室を出た時、長い廊下の向こうから、一番上の姉が階段の方に向かって歩いてくるのが見えました。
 真ん中分けの長い黒髪を胸のあたりまでまっすぐに垂らし、ブラウスの下に短いプリーツスカート姿の姉は、お友達に囲まれ、にこにこ笑っておしゃべりをしながら歩いていました。
 
 講堂を角にはさんでL字型の大きな木造校舎の中では、かけっこではいつも一番で、休み時間の鬼ごっこでも、例え鬼になっても、広い講堂の隅のほうに逃げて行くお友達を、はやてのようにつかまえに行くことができるすぐ上の姉を見かける以外に、高学年の姉たちに出くわすことは、まずありませんでした。
 校舎の中で初めて見かけた一番上の姉の姿は、とてもおしゃれに見えました。
 すぐ上の姉のお古の、つんつるてんの洋服を着たおかっぱ頭の私は、うす汚れた自分の上履きに目を落として、髪を伸ばして真っ白いハイソックスを履けば、私も姉のようにきれいになれるのかな、と思いながら、廊下のつきあたりに向かって歩いて行きました。

 廊下の右側にある図書室の板戸の前に立ち、重たい板戸の上部にしっかりとはめ込まれた大きな明り取りのガラスに顔をくっつけて、手をかざして中をのぞいてみました。
 校庭に面した正面の壁には大きな木枠のガラス窓が何窓も取り付けられていて、左手の壁際には、窓と平行に本棚が数台同じ間隔で並べてあり、テーブルと椅子も何脚か置いてあるのが見えました。
 中には誰もいないようでした。
 本棚の陰で先生が見えないのかな、と思いながら戸を開けて中に入ってみると、やはりそこはしんとしていました。
 
 廊下に出て、丸めた模造紙のような物を脇に抱えて、すたすたと前方から歩いてきた女の先生をつかまえて、読みたい本があるから図書室に入っても良いか訊いてみると、その先生は、ガラガラと戸を開けて、先に中に入って行きました。
 
 先生に何の本が読みたいのか訊かれた時、「ユニセフ」だけは素早く口から飛び出したのですが、あれほど父が説明してくれたのに、たった一晩寝ただけで、それを「ゆにせふさん」という名の実在の人物だと思い込んで名前を覚える練習をしたこと以外全て忘れてしまい、自分が何を調べにそこに来たのかもわからなくなり、私は、急にきまりが悪くなりました。
 
 まごまごしていると、その先生はてきぱきと書棚の間を行ったり来たりして、自分で選んできた数冊の本を、わたしの前の細長い貸し出しテーブルの上に置くと、開けた本のページを見ながら、無雑作にその辺に置いてあった紙に「ユニセフ」とか「こくさいれんごう」とか、もっと長い漢字の言葉を次々に書いてから、「『ユ』『二』『セ』『フ』」と「『こく』『れん』」について丁寧に説明し始めました。
 先生は、漢字で書いた長い言葉の下に読み仮名をふって、それぞれのひらがなの下には暗号のようなものを書きました。それは、外国で使われる「英語」という言語の文字でした。
 先生の書いた字は整っていてとても読みやすかったし、自分はしっかり聞いているのに、架空の「ゆにせふさん」には、私が初めて見る英語の名前まであり、しかも自分はそれが全く読めないことがわかると、私は、すっかり途方に暮れてしまいました。
 
 誰かが呼びに来て、先生が片手に模造紙を持って、もう片方で板戸を閉めて図書室から出て行ってしまうと、私は、手元にあった本を何冊か窓際のテーブルの上に置いて、窓に背中を向けて座りました。
 小さい方の本は字が小さすぎて読む気になれなかったので、先生が目印に、と本の上のほうに挟んでくれた紙切れが見える大きい方の本のページを開いて、そこに書いてある文章を読み始めました。
 本のサイズや文字が大きくなっても、同じ行を行ったり来たりしながらじっくり考えても、何度繰り返して読んでみても、内容はさっぱり理解できませんでした。
 日曜学校で、うえむら先生の前で「マタイによる福音書」の第6章のページを開く時、隣に座った姉が、人さし指で行をなぞりながらいっしょに読んでくれても、なかなか「主の祈り」を覚えることができなかった私に、姉が「天に、まします、われらの、ちちよ」と短く区切りながら、わからない言葉の意味をひとつひとつ教えてくれると、とたんに暗唱できるようになったことを思い出しました。
 
 あとで姉に助けてもらえばいいや、と匙を投げて、本を閉じようとしたその時、堅表紙の裏一面に、きれいなデザインの洋服を着ておしゃれをしている人たちの絵が描かれているのが目に留まりました。
 一番右上から順番に、その人たちの服装を見てみました。絵の中の日本人の女の人は、黒い髪を結いあげて着物を着ていました。黄色い髪の人もいました。肌の色がわたしとは違う人もいました。面白い形の靴を履いている人もいました。
 描かれている人々の顔の色や髪型や帽子や洋服や靴のデザインはそれぞれに独特で、ぱっと引き立つようなものもあれば、あまり目立たないのもありました。私は、頬杖をついて、テーブルの上の本の上で、着せ替え人形のようにおしゃれをして笑っている人々の服装や身なりを見比べていました。
 小学校に入ったばかりの頃、外国とアメリカは同じなの、と訊いた日に、父が「アメリカは外国にあるたくさんの国の中のひとつだ。」と教えてくれことを思い出しました。それは、父が話していた外国の、各国の民族衣装を着た人々の絵なのでした。
 裏表紙をめくってみると、そこには、世界中の国々の旗の絵が描いてありました。私は、全部覚えるのは大変そうだ、と思いました。中には「日の丸」の旗もありました。
 
 うれしくなって立ち上がり、外の職員玄関の手前にあった国旗掲揚塔を見ようとして木枠の窓ガラスに近づいてみると、窓ガラスの向こうの校庭では、私や姉と同じような黒い髪の子どもたちが、仲良さそうに遊んでいるのが見えました。
 

<次回に続きます。>

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コーヒーの注文を拒んだアメリカ人のお話 

 今日は大変暑い日なので、庭仕事に一段落ついた後、フェースブックのDIY Homedecoratingのエスプレッソで作るアイスキューブのアイディアを思い出し、久しぶりにアイスコーヒーを淹れてみることにしました。
 コーヒーといえば、日本の実家の父ほどおいしいコーヒーを淹れる人に出逢ったことはありません。コーヒーの淹れ方にこだわりのある父を思い出しながら、夫もよくコーヒーを淹れてくれるのですが、コーヒー豆なのか水なのか淹れる人の技なのか、父の淹れるコーヒーは格別の味わいがあるような気がします。

 ところで、今日アイスコーヒーを淹れながら、私達一家がまだ日本に在住していた折、アメリカ人の夫の両親が2週間ほど滞在した際に起きたある事件を思い出しました。
 この事件については、過去にブログで「コーヒーを拒んだアメリカ人の話」と題して2回にわけて紹介したことがあったのですが、数年間ハードドライブにしまい込んだままだったので、今日あらためて読み返してみると当時の出来事が次々と思い出され、胸が熱くなりました。
 以下に数年前に書いた「コーヒーの注文を拒んだアメリカ人の話」を抜粋し掲載しますので、お時間がありましたらぜひご一読ください。

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 横浜へ引っ越す前に、私たちが住んでいた葉山の借家の二階の窓からは、海岸線が眺望でき、晴れた日には富士山も見晴かすことができました。
 日曜日には、夫と二人で急勾配を徒歩でおりて近所のベーカリーで焼きたてのフランスパンを調達し腕に抱えて帰宅する途中、近所でも評判の喫茶店へ立ち寄ったりしたものでした。
 葉山の家を引き払って、横浜市の根岸の高台の家に住み始めて数ヶ月経った頃のことでした。
 その夏、夫の両親が、オハイオ州から遊びに来ていました。
 子どもたちが全員学校から戻るまで、私が義父母を元町へ連れ出したり海辺にドライブに連れて行ったりして過ごしていました。

 ある日のことでした。
 仕事から帰った夫が、ちょうど夕刻に葉山で用事があった私に、「両親もいっしょに連れて行ってあの店でコーヒーを飲んで時間を潰すよ。」と言うので、私たちはわいわいと車に乗り込んで、葉山に向けて出発しました。
 用事を終えた私を迎えにきた夫に「喫茶店はどうだった?」と訊くと、夫が「ああ、あそこではコーヒーを飲まずに、海岸沿いのデニーズへ行ってきた。」と答えました。
「え?あの喫茶店へは行かなかったの?」と、両親のほうに向き直ると、「あのデニーズは素敵ねえ。とても楽しかったわ。」にこやかな笑みを浮かべながら、夫の母が言いました。
 普段から無口な義父は口を閉ざしたままです。「デニーズでコーヒーを飲んだ。」という夫は、心なしか口数が少なく、祖父母といっしょに座っている子どもたちもいつになく静かなような気はしましたが、「ああ、よかったじゃない、私もあそこのデニーズ大好き。コーヒーもおいしいのよね。」と言うと私は、遠景に江ノ島を臨む逗子海岸沿いに建つデニーズの周辺の海辺の景色を思い浮かべながら、義父母が、そこまで足をのばしてあの辺りの風景を堪能することができたということを喜び、車中、夫の両親と滞在中の今後の計画などを話し合いながら時間を過ごしました。

 帰宅後、両親が二階へ上がってしまうと、夫が「どうしてあそこの喫茶店に行かなかったと思う?」と訊きました。
「さあ。」そんなこと今の今まで知りたいとも思いませんでしたが、夫は普段そんな他愛のないことを質問するような人ではありません。含みのある夫の態度が気になったので、一応「どうしたの。」と訊いてみました。夫は「やれやれ。」と言いながら、デニーズへ出かけることになるまでの事の顛末を、私に語って聞かせました。
 夫の話を要約すると、私がいない間に、こんな出来事が起こっていたのでした。

 葉山の民家風の喫茶店に着いた一家が、通されたテーブルに着くと、夫にメニューが渡されました。
 夫がコーヒーを注文し、父親に何を注文するか尋ねると、父親もコーヒーを注文しました。
 ところが、コーヒーの値段を知った父親が、前言を撤回し「やはり私は何も飲まない。」と言い出したのです。夫は「父さん、ぼくがご馳走するよ。」と言ってコーヒーを注文するよう促しましたが、父親は「こんな高いコーヒーなら飲まなくてもいい。」と言い張ります。すると、父親の顔色を窺った母親も「それじゃ、私も、お水だけ頂くわ。」と言いました。
 夫は、やむを得ず自分のためのコーヒーと、子どもたちが食べたいといった物だけをウェイトレスの女性に注文しました。すると、ウェイトレスは丁重に「お席に着いた方全員が何か注文してください。」と言ったのです。そこで、夫は、両親に「飲まなくてもいいから何か頼んでくれない。」と、根気強く頼みました。お店の方にこの喫茶店の仕組みを説明されても、夫の父が「何もいらない。」と拒み続けたため、義母も何も注文できませんでした。
 こうして、ファミリーは、お冷が運ばれてきたというのに、仕方なくその店を出る羽目に遭ってしまったのです。

 夫の話を聞いた後「本当に、その女の人は、一人一品注文してください、って言ったの?あなたの勘違いじゃないの?」と私が尋ねると、夫は、ウェイトレスが全員に向かって「何か注文するように。」と人差し指を上に向けて立てながらゆっくりとジェスチャーを混じえて促し、しかも、カウンターでマネージャーらしき男性に話をしてから二度目に戻ってきたときも、同様の態度をとったというではありませんか。
 
 夫は悔しそうに、「父さんに、日本の民家はこういう造りなんだってのを見せたかったんだけど、一杯のコーヒーに1ドル以上払ったことがない父さんには、6倍の値段を払ってまで日本建築の勉強などする必要はない、ってことだったのさ。」と毒づきました。

 その数日後、夫の両親は、私の両親の招待で、東北地方にある、とある格式高いホテルに泊まることになりました。
 そして、くだんのコーヒーにまつわる事件は、夫の両親がこのホテルに滞在中に起こったのでした。
 
 実家では、私たち夫婦と子どもたち3人が母屋に寝泊りし、義父母が母屋の前の小さなゲストハウスに滞在していたのですが、ある朝、私の父が、夫の両親のためにホテルの宿泊を予約する、と提案してくれました。
 母屋から離れて静かに眠る場所があるだけでも有難いのに、皇室御一家がご静養のためにご利用されるあのホテルに一泊なんて、なんて粋な計らいでしょう。
 私たちは、その午後喜びいさんで、夫の両親をそのホテルへ連れて行きました。
 義父母の泊まる洋室には、心地よさそうな羽毛のブランケットが掛かったベッドがふたつあり、窓の外の景色も抜群です。当時ゲストハウスには風呂場がなかったため、義父母は母屋にシャワーを浴びにきていたので、ホテルの部屋の一角に浴室を見止めた義母は、少女のようにうれしそうな表情で顔を綻ばせました。
 ゆっくりと和の風情を味わってもらえたら良いね、と、言いながら、夫の両親とわかれ、私たち夫婦と私の両親はホテルを後にしました。

 翌朝。チェックアウトより小一時間早く、私と夫がホテルに着きました。
 夫の両親の泊まった部屋に入るや否や、義母が、待ってましたとばかりに、昨夜からの愉快な出来事や経験を、微に入り細にわたり喋り始めました。
 昨夜のうちに温泉にも入り、朝食も堪能したという義父は、いつになくうれしそうに満面に笑みを浮かべ、寛いだ表情で義母の話に耳を傾けていました。
 夫も、おもしろそうな様子で、「へえっ、父さん、温泉にも入ったの?母さんも、温泉に入ったの?」などと矢継ぎ早に質問をしています。
 自分は外に出歩かず室内のシャワーを使ったという義母が、「私は部屋でゆっくり過ごしたけれど、父さんったら、夕べもホテルの中をあちこち覗きに行ってたの。朝から浴衣のままで出たり入ったり、庭園を眺めながら回廊を何度も歩き回ったらしいのよ。貴方たちから離れたらじっと部屋にこもるかと思って心配したけど、父さんもとてもエンジョイしてたの。今朝もコーヒーもたっぷりいただいて、ご満悦よ。ほら、コーヒーさえあれば、父さんは機嫌いいでしょ。」と言いました。

「へえ。部屋にはコーヒーメーカーも付いてるの?」と夫が訊くと、「ここにはないけど、ロビーでね。」と義母が答えました。
「父さん、あそこで自分でコーヒーを注文したの?」
「何杯もおかわりしたそうよ。とうさんったら『アリガドー(ありがとう)』が板について、ウェイトレスの女の子がコーヒーを持ってきてくれるたびに『アリガドー』を連発したそうなの。言葉が通じるとわかって、大はしゃぎよ。」
 すると、間髪を入れずに夫が「父さん、コーヒー何杯おかわりしたの?」と訊きました。自分の話す日本語が通じて気をよくしたという父親は、誇らしげに、「小さなカップだから、何杯もおかわりしたかな、10杯は飲んだと思う。」と言いました。
 少し間をおいてから、夫が「10杯。。。それで、父さん、そのコーヒー代は、もう支払ったの?」と訊き返しました。
 すると、義父は、支払いをせずに『アリガドー』と言い残して部屋へ戻ってきた、と言うではありませんか!

 まあ、なんということでしょうか。夕べのうちに、東北地方で何杯おかわりしても値段が一律なのは「わんこそば」だけだということを夫の両親に話しておくべきだったのです。確かわんこそばだったら、例え120杯食べても、追加料金の支払いはしなくて済むはずです。
 
 「アメリカ大統領とか有名俳優ならともかく、一般の宿泊客は、コーヒーの代金を支払わずに部屋へ戻ってはいけない、ということを父さんに言っておくべきだったよ。」両親に背中を向けた夫が、大真面目な顔つきで言いました。
 私は、「もしかすると、ウェイトレスの女性、お義父さんがケニー・ロジャースだと思ったのかもよ。部屋代と一緒に請求がくるとか?」と冗談で混ぜ返しましたが、小さなコーヒーカップに注がれる一杯のコーヒーの代金を知っている夫の表情は青ざめたままです。
 私は、浴衣姿でコーヒーを注文する義父の寛いだ表情と、傍らで「もう一杯如何ですか。」と謹しくコーヒーを勧めるウェイトレスの女性とのやり取りを想像してみました。
 それにしても ― 。一体全体、うちのお舅さんは、どうやって一銭も支払わずに自室へ戻ることができたのでしょうか。

 ふと気がつくと、いつの間にか、そこに私の両親が立っていました。
 夫が黙りこくったままなので暫し沈黙が流れましたが、私は一息に、私の両親に今朝起こった事の顛末を話して聞かせました。
 父はにこやかに「ああ、そう。」「ああ、そう。」と頷きながら私の話を聞いた後、「まあ、いいんじゃない。コーヒー飲み放題のサービスもついたってことだ。」と高らかに大笑いしました。
 
  数分後、一同は、ロビーの円卓を囲んで座っていました。
 ウェイトレスの女性が近づくと、父は、メニューを見ないで、「コーヒーを、6つ、お願いします。」と注文しました。
 窓ガラスの向こうの中庭には、よく剪定された南部の赤松が、重厚な日本建築のホテルの外観に、更なる和の趣を添えているのが見えました。

 
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