薪と猫と、そして君。。。

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外は雨 - 。

暖炉の火と

テーブルの上の一輪の薔薇と

君と

猫。

ボクの周りで

なんとなく動いている

小宇宙が、

何よりも素敵だ。

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庭のルパート王子さまのお話

 土曜日の夜のことです。
 前夜、12時過ぎに床に就きベッドでぐっすりと眠っていた丑三つ時に、猫に飛び乗られて目が覚めてしまい、3時間の睡眠で仕事に出かけ、夜遅くに帰宅し食事の支度をし、暖炉にくべられた薪がパチパチと心地よい音を立てて燃えているのを眺めながら、寛ごうとしてソファに寝そべろうとした時のことでした。
 
 ごろりと横になろうと思ってソファに近づいて行き、暖炉のマントルの上をふと見ると、私が友人にプレゼントされた油絵の額縁の中の風景画が外されているのに気が付きました。
 暖炉の明かりだけの薄暗がりのリビングルームで、マントルに近づいてよく見てみると、私のお気に入りの無名のアーティストの風景が描かれたキャンバスが外された額縁の中には、入れ替えるならこれしかないと思っていたゴッホの「星月夜」のレプリカではなく、夫が携帯電話で撮り私が拡大コピーをしてプレゼントしたばかりの、彼の「お友達」のカエルの写真が飾られていました。
 
 9月の末に、夫がプールのスキマーの掃除をしている最中に、蓋の下のバスケットの中にたまった葉っぱの上に一匹のカエルが座り込んでいるのを発見して救出してから、彼は、そのカエルを「プリンス・ルパート(ルパート王子:Prince Rupert)」と呼んで庭で遊ばせていたのですが、ルパート王子さまは、2日ほど庭のプールの周辺で眠ったり飛び跳ねたりして仲間と遊んだりした後、すっと姿を隠してしまってしまっていました。
 
 ところが、2,3日前、プールの水面にぷかぷか浮いている枯葉の掃除の最中に、再び夫がスキマーの蓋を開けてみると、行方が分からなくなってしまっていたルパート王子さまが、バスケットにたまった赤や黄色の葉っぱの上で、あたかも誰かがその蓋を開けて救出してくれるのを待ちわびているかのような姿で、辛坊強く鎮座していたというではありませんか。
 
 さまざまな神様が飾られた我が家の ‐ 夫曰く「ブツダン(参照:クリスマスの飾りをしまおう!)」- には、またしても私が居ぬ間に夫が移動させた「学業成就」のお札や、妹からの贈り物の安産のお守りや、鎌倉で購入したダイブツ様や、大黒様に見えなくもない木像のほかに、どうやら、庭の神様も仲間入りしたようです。
 秋深まる裏庭の落葉さながら、秋をよそおうルパート王子さまの笑顔は、今日も我が家のリビングルームの暖炉のマントルの上で、西陣織の帯のようにキラキラと輝いています。

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空と大地と。。。

愛があれば、ほかには何もいらない。。。

Sky

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忘れられない人々 16.木造校舎への入り口

 父方の祖母が商店を営む温泉街の外れに建つ新しい家に引っ越してから間もなく、私は母に手を引かれて初めて新しい学校に行きました。その日は、私の小学校の入学式だったのです。
 校門に立って真正面を眺めると、こげ茶色の二階建ての古い木造校舎がそびえていました。門を少し下って、なだらかな斜面が平坦になった辺りから始まる広い校庭の北側の校舎の前には、国旗掲揚塔や花壇がありました。二ヶ所あるうちの中ほどの入り口辺りには、帰宅後に祖母が教えてくれた「がくもんの、かみさま」の像も立っていました。
 外観の板壁には、雨上がりには湿った木の匂いが校庭いっぱいに漂ってきそうな木枠の窓が沢山はめ込まれていました。
 戸袋のない外壁を眺めながら、雨戸が隠れている場所を探してみたり、校舎の中の様子を想像したりしてみました。

 目の前の木造校舎は、階段が3ヶ所についていて従姉兄たちが全員集まった時にたとえ全員分の布団を敷いても、襖を開けると次の間にはもっと布団が敷けて、さらに奥の襖を開けると山や線路や駅舎が眺められるように、壁一面に大きな窓が設えられた次の次の間に続き、他にも数ある部屋のどの押入れの中からも、打ち直しされたばかりの綿の布団がどんどん出てくる母方の祖父母のお屋敷よりも巨大でした。
 また、長い廊下を挟んで両側にかくれがを探すための板戸や襖や障子が何枚もあり、八畳間の押入れの中の座布団全部を高く積み重ねてそのてっぺんに正座して転げ落ちないようにバランスを取って遊ぶための縁側もある、私の新しい二階建ての家よりも、もっともっと巨大でした。
 新しい家の二階の一間には「きよさん」が住んでいたし、母の実家にも富山の「くすりやさん」さんとか鎌倉の「かまくらさん」とか見知らぬ大人が始終出入りして寝泊りしていましたが、目の前のこの校舎の中にはもっと沢山の下宿人が住み込めそうでした。
 
 
 母が指差しながら教えてくれた西側の一年生の教室がある校舎の前には、ブランコもジャングルジムもありました。
 西側の校舎と北側の校舎をL字でつなぐ角の講堂の向こうにあるはずの、はげ山の頂上がほんの少ししか見えないほど、目の前の校舎は高くそびえ立っているのでした。
 私は、ひとめでその校舎が気に入りました。

 校門の前で写真撮影をしている人達の順番を待っている間に、ブランコに腰かけて国旗掲揚塔の日の丸の旗を見上げたり校庭を眺めたりしていると、誰かのおかあさんと話をしていた母が、お友達に会いに行こう、と弾んだ声で言いました。母は、履いていた私の袴のおしりの辺りについた埃を落とすと、お友達なんて一人もいないとためらっている私の手を引いて、すたすたと校舎に向かって歩き始めました。

 昇降口で素早くスリッパに履き替え、子ども用のスリッパに履き替えた私の手を引いて足早に講堂に入った母は、沢山の椅子が並んでいるステージの前に私を連れて行き、そこで待っているように促すと、真新しそうな白い上履きを履いて講堂をぐるぐる走り回ってお友達と遊んでいたひとりの女の子に声をかけました。
 ちょっとの間かがみこんで話をしていた母が、綺麗な髪飾りであげた前髪を額の上で留めていておでこが出ている女の子を連れてくると、その子は、初めて会う私に自分の名前を言ってから、大きな声で「おともだちになろうね。」と言ってくれました。 
 「なかよくなれるかな。」と私は思いました。私は着物を着て袴をはいていたのですが、その子はお洒落なワンピースを着ていたからです。

<次回に続きます。>

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忘れられない人々 11.校門の宣教師

 その日の昼休み、私は、下級生用の昇降口のそばにある校庭の遊び場で、うんていの順番を待っていました。
 ぶら下がったうんていの鉄の横棒を片手でしっかり握ったまま、じゃんけんをしながら勝ち進んだ上級生が、ようやく敵の陣地を取った後、横棒の上を歩いていた男の子が、職員室の窓から顔を出した黒縁の眼鏡をかけた男の先生に、「下に下りて下級生にも順番を回せー。」と怒鳴られてから、ようやく私たちの番が回って来た時のことです。
 一段とばしや二段とばしをしながら勢いよく前に進んでいく同級生を眺めながら、私も列の後ろのほうに並んでいました。
 
 ふと左手に目をやると、ゆるやかな傾斜の上に立つ校門のところに、見知らぬ大人が二人立っているのが見えました。男の人と女の人でした。
 校庭の中に入ってこない2人を物珍しそうに眺めていた上級生のうちの何人かが、小走りに校門に近づくと、何分も経たないうちに男の人にもらった紙切れを手にして戻ってきました。
 上級生に、自分がもらった紙がほしいなら取りに行ってもらって来いといわれ、一体それに何が書いてあるのかを知りたい下級生たちは、恐る恐るその二人に近づいて行って、それぞれが紙切れを手にして戻ってきました。
 
 横入りをされてまだうんていの後列のほうに立っていた私の横で、ビラを持って戻ってきた子どもたちのうちのひとりが、話が通じたと言いました。 カーディガンなのか妙に不恰好な前合わせの上着に、だらりと長いスカートをはいた女の人は、収穫前の田んぼで大きく風に揺れる黄金色に輝く稲穂のような髪の色をしていて、濃い茶色の髪の色の男の人のほうは、つんつるてんの吊りズボンを履きくるぶしの上のほうでギュッと結ばれた紐のついた分厚い靴底の茶色い革靴を履いていました。
 話ができるとわかると、怪訝そうにぶらんこの列に並んでいた子も、ジャングルジムの上で様子をうかがっていた子も遊ぶのをやめて降りて来て、進んだり後戻りをしたりしながら二人に近づいていきました。
 
 うんていの順番待ちの列を少しずつ前に進みながら自分の番を待っていた私は、子どもたちに取り囲まれて話をしている二人をじっと見ていました。
 女の人が、親切そうに小さな子どもたちに向かって微笑みかけているそばで、男の人は手に持った紙を配っていました。
 
 「順番がきたぞ、早く行け。」と後ろの同級生の男の子に背中をこづかれ、慌ててうんていの前に立つと、家で姉に教わったことを思い出しました。
「うんていの棒を両手でしっかり握ったら、最後の一本を見て、一回目をとじてから、目をあける。」と自分に言い聞かせながら、棒をしっかり握ってゴールの横棒を確認し、ねらいを定めて目を閉じてから、しっかりと目を開いて前に進んでみたら、急にはずみがついたような気がしました。
 姉に言われた通り、心の中で、左、右、左、右と言いながらよそ見をしないでゴールに向かって手を動かしてみると、ぐんぐん前へ進むことができたような気がしました。前の日は真ん中までしか進めなかったのに、もっと前に進んだような気がしました。
 それでも、やはりゴール直前で落ちてしまったので、赤くなった手の平を見つめながら後列の最後に戻って、残った横棒の数を数えました。あと2,3本でゴールというところまで来ていました。放課後姉に報告したら、ぜったいに喜んでもらえる、と思いました。
 背の高い上級生たちに交じって、一段とばしや二段とばしをしている同級生の手の動きをじっくり見ながら途中で落ちない工夫を考えているうちに、ふと校門の二人の大人のことを思い出して振り返って見てみると、二人はまだそこにいました。今度は、もっと沢山のこどもたちと話をしていました。
 うんていの自分の番が近づいてきていたのに、私は思い切って列を外れて、その人たちのそばに行ってみることにしました。
 
 真ん中分けの髪を襟の後ろで三つ編みにし腰のあたりでひとつに束ねた女の人は、日本語で「神さま」とか「イエスさま」の話をしていて、その横で男の人が子どもたちに紙を配っていました。私も紙がほしい、と女の人に言ってみると、その人は、私の家の裏手にある山の方角を向いて同級生たちに紙を配っていた男の人に、声をかけました。私には、その人の顔がよく見えませんでした。
 吊りズボンのサスペンダーのせいで、少し薄汚れた白いシャツの背中に大きなバツ印をしょっているように見えたのでかわいそうだと思いながら後ろ姿を見ていると、男の人はようやく振り返りました。
 何日も洗っていないのか、ぎとぎとしてつやのない髪の毛のその男の人は、黙って突っ立っている私の方を見ると、「もうありません。」というように悲しそうな顔つきをしながら、両手を腰のあたりで広げて、手の平を空に向けて軽く肩をすくめてみせました。男の人の円らな目は、髪の色と全く同じように濃い栗色でした。
 
 「休み時間おわるぞー。」と声を張り上げながら、ビラをもらった子どもたちが次々と運動場のほうへ走り出したので、紙がもらえなかった私も昇降口に戻ることにしました。
 手ぶらで校舎に向かって走っていたのに、急に、どこから来たのかだけは知りたい、という感情がこみ上げ、私は、走っていたのとは反対方向に踵を返しました。
 息を切らしながら、どこから来たのか聞いてみると、女の人のほうが「あめりか」と言いました。新しい町に慣れてきたばかりで「あめりか」を知らなかった私に、「がいこく」とも言いました。
 
 夜、茶の間の畳の上で、天井を見上げながら父の腕枕でごろごろしていた時、父に、「あめりか」と「がいこく」は同じなのかを尋ねると、父は、「あめりか」は、日本の外にあるたくさんの国のうちのひとつで、日本もまた「あめりか」から見ると「がいこく」なのだということを教えてくれました。
 どうやら天井裏の屋根の上の空の向こうには、まだまだ私が知らない世界があるようなのでした。

<次回に続きます。>

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