忘れられない人々 10.駅前の風景

 ある日の夕方、母と私たちを乗せた父の車は、母の実家の玄関の前に到着しました。久しぶりに親せきが集うことになっていたのです。
 車を降りたとたん、裏玄関に回る母の背中に向かって、駄目と言われるのを覚悟で、仏壇に手を合わせる前に、駅前に行ってきても良いか訊いてみました。私の声がとどかなかったのか、母は返事をしませんでした。いつになく足早に歩いていた母が、台所脇の沓脱の板戸の外で急いで靴を脱いでいる背中に向かって、また、あいさつする前に駅に行ってきても良いか訊くと、母はようやく振り返って、行っておいで、と言ってくれました。
 
 玄関の前の道を渡り、通りを隔てた草地と小店の間の、きれいに雑草が刈り取られた小道の斜面を下りると、駅前の広場に出ました。
 
 だだっ広い広場の隅には、あの日と同じように、枕木が重ねて積んでありました。薄緑色の雑草に覆われた濃い茶色の枕木の数は減り、私の背高よりも、ずっと低くなっているように見えました。

 新しい家に引っ越す前に、脇の空き地でお友達と缶けりの約束をしていたすぐ上の姉について行って、細道の斜面をおりようとした時、前を歩いていた姉に言われて、茫々と脇に生えていた雑草につかまりながら用心深く歩いていたのに、ズックが脱げて、乾いた土の上で滑ってしりもちをついたことがありました。
 転んだ私にすぐに気が付くと、姉は、軽やかに体を左右に揺らせながら走り寄ってきて、素早くしゃがんでズックを履かせてくれました。

 姉に手を引かれて、細道をおりてようやく平地に下りた私が顔を上げると、急に視界が広がり、目の前に、姉の背丈よりもはるかに高く積まれた巨大な材木が積み重なる広場が現れました。
 材木の前に立つと姉は、私に向かって、うん、とうなずき、目の前をすたすたと歩いて行って反対側に回り、いとも簡単に、積まれた材木によじ登って、てっぺんまで上がって見せました。 
 家から保育園に歩く道のり、途中にある姉の友達の家の前辺りにあった塀の上に立っている姉は、一度だけ見かけことがありましたが、目の前で高い所に立つ姉を見るのは初めてでした。
 
 太陽を背に、背筋をすっと伸ばして両足を開いてバランスを取ってそこに立つ姉の髪は、肩の辺りで心地よさそうに風に揺れていました。
 私が呆然として見上げている間に、姉は、「いち、にの、さーん。」と大声をあげながら、急にそこから飛び降りてみせました。そして、着地に成功すると、素早く立ち上がり、しゃがんだ時についた両手の土をパンパンと払いながら、再び材木の上によじ登っていきました。
 姉が「いっち、にーの。」で、両腕を開く度に私は息を呑み、肩の高さまで両腕を上げ「さーん。」で、勢いよく枕木を蹴って空に向かって飛び上がり、うまい具合に着地に成功する姿を見ると、心からほっとしました。
 炬燵の上から飛び降りるのがやっとだった私には、塀の上からでも飛び下りられる小学生の姉が英雄に見えたのです。
 姉は、積んである枕木の端のくぼみにズックの先を巧みにひっかけながら、よじ登っては飛び、またよじ登って行っては、私の前で高く飛んで見せました。
 姉の手の平やズボンの膝は、日が暮れる頃には、真っ黒になってしまっていました。

 低い枕木の上に立って、駅の前をぐるりと見渡すと、右手に、近所のみんなが「ちゃやっこ」と呼んでいる小店が見えました。
 中に入ってお店の中をゆっくりとひとまわりし、壁際の台の上に無雑作に置かれていた駄菓子をひとつ手に取って、高い所に座っていたお店の女の人に「こんにちはー。」とあいさつすると、おばさんに100円玉を渡しました。引っ越し前は、姉と一緒にお店の中に入るや否や大声で話しかけてくれる人だったのに、その女の人は、私には目もくれずおつりを数えながら、他人行儀に「はい、どうもね。」と言っただけでした。
 
 小店のドアを出ると、私が数年前に、泣きながら保育園のお友達を見送ったホームがある駅が見えました。ふと、自分がいなくなった時、泣いたお友達はいたのかな、それとも、みんなママのように笑ってお別れができたのかな、と思いました。
 駅前の広場には、たまに一台か二台の車が停まるだけで、心なしか、以前より人通りが少なくなっているように見えました。
 それでも、母が生まれ育った家の前の駅舎と、駅舎の屋根の向こう側にそびえる祖父と登った山の緑だけは、以前と変わらず、静かにそこにたたずんでいるのでした。

 祖父母の家の裏口に戻ってみると、開けっぱなしの板戸の向こうから、にぎやかな話し声が聞こえてきました。
 誰が来ているかな、と思いながら、戸口の外の庭にまではみ出した、軽く二十足はある履物をつま先で踏んづけながら廊下に上がり、振り返って沓脱を見てみると、色とりどりの履物が脱ぎ捨てられていました。いつものように、大きいつっかけも、小さいズックも、きれいなサンダルも、踵がつぶれたのも、破けているのもありました。
 でも、私は、いつの間にか、沓脱の脇に設えられた流し台のすぐ横にきちんと揃えて並べてある祖父母の履物以外、どれが誰のなのかを言い当てることができなくなってしまっていました。
 

<次回に続きます。>

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忘れられない人々 9.図書室の窓

 次の日、小学校の図書室に向かうために教室を出た時、長い廊下の向こうから、一番上の姉が階段の方に向かって歩いてくるのが見えました。
 真ん中分けの長い黒髪を胸のあたりまでまっすぐに垂らし、ブラウスの下に短いプリーツスカート姿の姉は、お友達に囲まれ、にこにこ笑っておしゃべりをしながら歩いていました。
 
 講堂を角にはさんでL字型の大きな木造校舎の中では、かけっこではいつも一番で、休み時間の鬼ごっこでも、例え鬼になっても、広い講堂の隅のほうに逃げて行くお友達を、はやてのようにつかまえに行くことができるすぐ上の姉を見かける以外に、高学年の姉たちに出くわすことは、まずありませんでした。
 校舎の中で初めて見かけた一番上の姉の姿は、とてもおしゃれに見えました。
 すぐ上の姉のお古の、つんつるてんの洋服を着たおかっぱ頭の私は、うす汚れた自分の上履きに目を落として、髪を伸ばして真っ白いハイソックスを履けば、私も姉のようにきれいになれるのかな、と思いながら、廊下のつきあたりに向かって歩いて行きました。

 廊下の右側にある図書室の板戸の前に立ち、重たい板戸の上部にしっかりとはめ込まれた大きな明り取りのガラスに顔をくっつけて、手をかざして中をのぞいてみました。
 校庭に面した正面の壁には大きな木枠のガラス窓が何窓も取り付けられていて、左手の壁際には、窓と平行に本棚が数台同じ間隔で並べてあり、テーブルと椅子も何脚か置いてあるのが見えました。
 中には誰もいないようでした。
 本棚の陰で先生が見えないのかな、と思いながら戸を開けて中に入ってみると、やはりそこはしんとしていました。
 
 廊下に出て、丸めた模造紙のような物を脇に抱えて、すたすたと前方から歩いてきた女の先生をつかまえて、読みたい本があるから図書室に入っても良いか訊いてみると、その先生は、ガラガラと戸を開けて、先に中に入って行きました。
 
 先生に何の本が読みたいのか訊かれた時、「ユニセフ」だけは素早く口から飛び出したのですが、あれほど父が説明してくれたのに、たった一晩寝ただけで、それを「ゆにせふさん」という名の実在の人物だと思い込んで名前を覚える練習をしたこと以外全て忘れてしまい、自分が何を調べにそこに来たのかもわからなくなり、私は、急にきまりが悪くなりました。
 
 まごまごしていると、その先生はてきぱきと書棚の間を行ったり来たりして、自分で選んできた数冊の本を、わたしの前の細長い貸し出しテーブルの上に置くと、開けた本のページを見ながら、無雑作にその辺に置いてあった紙に「ユニセフ」とか「こくさいれんごう」とか、もっと長い漢字の言葉を次々に書いてから、「『ユ』『二』『セ』『フ』」と「『こく』『れん』」について丁寧に説明し始めました。
 先生は、漢字で書いた長い言葉の下に読み仮名をふって、それぞれのひらがなの下には暗号のようなものを書きました。それは、外国で使われる「英語」という言語の文字でした。
 先生の書いた字は整っていてとても読みやすかったし、自分はしっかり聞いているのに、架空の「ゆにせふさん」には、私が初めて見る英語の名前まであり、しかも自分はそれが全く読めないことがわかると、私は、すっかり途方に暮れてしまいました。
 
 誰かが呼びに来て、先生が片手に模造紙を持って、もう片方で板戸を閉めて図書室から出て行ってしまうと、私は、手元にあった本を何冊か窓際のテーブルの上に置いて、窓に背中を向けて座りました。
 小さい方の本は字が小さすぎて読む気になれなかったので、先生が目印に、と本の上のほうに挟んでくれた紙切れが見える大きい方の本のページを開いて、そこに書いてある文章を読み始めました。
 本のサイズや文字が大きくなっても、同じ行を行ったり来たりしながらじっくり考えても、何度繰り返して読んでみても、内容はさっぱり理解できませんでした。
 日曜学校で、うえむら先生の前で「マタイによる福音書」の第6章のページを開く時、隣に座った姉が、人さし指で行をなぞりながらいっしょに読んでくれても、なかなか「主の祈り」を覚えることができなかった私に、姉が「天に、まします、われらの、ちちよ」と短く区切りながら、わからない言葉の意味をひとつひとつ教えてくれると、とたんに暗唱できるようになったことを思い出しました。
 
 あとで姉に助けてもらえばいいや、と匙を投げて、本を閉じようとしたその時、堅表紙の裏一面に、きれいなデザインの洋服を着ておしゃれをしている人たちの絵が描かれているのが目に留まりました。
 一番右上から順番に、その人たちの服装を見てみました。絵の中の日本人の女の人は、黒い髪を結いあげて着物を着ていました。黄色い髪の人もいました。肌の色がわたしとは違う人もいました。面白い形の靴を履いている人もいました。
 描かれている人々の顔の色や髪型や帽子や洋服や靴のデザインはそれぞれに独特で、ぱっと引き立つようなものもあれば、あまり目立たないのもありました。私は、頬杖をついて、テーブルの上の本の上で、着せ替え人形のようにおしゃれをして笑っている人々の服装や身なりを見比べていました。
 小学校に入ったばかりの頃、外国とアメリカは同じなの、と訊いた日に、父が「アメリカは外国にあるたくさんの国の中のひとつだ。」と教えてくれことを思い出しました。それは、父が話していた外国の、各国の民族衣装を着た人々の絵なのでした。
 裏表紙をめくってみると、そこには、世界中の国々の旗の絵が描いてありました。私は、全部覚えるのは大変そうだ、と思いました。中には「日の丸」の旗もありました。
 
 うれしくなって立ち上がり、外の職員玄関の手前にあった国旗掲揚塔を見ようとして木枠の窓ガラスに近づいてみると、窓ガラスの向こうの校庭では、私や姉と同じような黒い髪の子どもたちが、仲良さそうに遊んでいるのが見えました。
 

<次回に続きます。>

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忘れられない人々 8.ゆにせふさんの正体

 姉たちが、それぞれに自分へのお土産を手に取って笑いながら話をしていた時、「これはMの。」と言いながら、まんまるいほっぺたを紅潮させ、色あざやかな刺繍糸で施されたゾウさんの模様の黒のビロードのバッグを見せながら、母にバッグの中には何を入れたら良いと思うか相談していた妹は、ようやく、それにズックを入れて使うことに決めたようでした。

 あんな綺麗なバッグに上履きを入れるなんてもったいないと思いながら、私は、父に東京のデパートの食堂で叔母に教わったことを話し始めました。
 座っていた父の横に座りなおして、小包の中から取り出して卓袱台の上に置いてあった便せんや封筒や葉書といっしょに、手に持っていたアドレス帳を見せると、父は、手紙を書いて封筒に入れたら、郵便番号を一番上の四角の中に書き、右はしに住所を書いて、真ん中に友達の名前を書いたら「その下にかならず『様』をつけてから」切手を貼って、裏に忘れずに自分の住所を書いた後に、郵便局に持って行ってポストに投函することを教えてくれました。
 
 イチョウ並木の通りの床屋の向いにある郵便局の前の、あの赤いポストから出せばいいんだ、と自分に言い聞かせながら、卓袱台の上の葉書や封筒の表に、叔母やOさんや、母の実家がある町に今でも住んでいるお友達の名前と住所を書きさえすれば、郵便局が、遠くの町に住んでいるお友達のひとりひとりに手紙を届けてくれることを知った私は、すっかり有頂天になって、高学年の姉が夢中で読んでいて、あらすじを教えてもらったことがある「あしながおじさん」を思い出しながら、思い切って父に、「じゃ、ゆにせふさんにも手紙を出せば読んでくれるかな。」と言ってみました。せっせと手紙を書き続けてさえいれば、物語の登場人物ではない「ゆにせふさん」には、いつか会えるかもしれない、と思ったのです。
 
 一瞬怪訝な顔をして首を傾げて私を見つめると、父は、ゆにせふさん?と訊き返しました。私が、葉書を作っているのはゆにせふさんだと叔母に教えてもらったことを告げて、卓袱台の上に置いてあった葉書を父に見せると、葉書を手に取った父は、ああ、あれか、と言うように大きくうなずくと、私に、ちょっとおいで、と言って廊下に出て、私を、茶の間の隣の六畳の和室に連れて行きました。
 八畳間に続く襖の前と、仏壇の横と、廊下に続く襖の前に置いてあった3つの本棚の間を行ったり来たりしながら、ごそごそと分厚い本を取り出しては書棚に戻し、また別のを取り出してそれを開いてはページをめくりながら、天井からぶら下がる薄暗い電気の下で何かを調べようとしていた父は、あきらめたように、「Mがわかるようなのは、ここにはないかなあ。」と言いながら、部屋の真ん中に座って不思議に思っていた私に、小学校の図書室へ行ってみるようにすすめてくれました。
 
 何を読むために図書室へ行くのか訊くと、父は「ユニセフ」を調べるためだと言いました。父は、「ユニセフ」は男の人の名前ではなく、「国際連合の中のひとつ」で、「世界中の子どもたちの命を守るために働いている人がいっぱいいる団体」だということを教えてくれました。
 
 デパートの食堂できっと叔母も同じように説明してくれていたはずなのに、外国のお料理を食べているのに、その国の「こけし」も言えなかった私は、テーブルを挟んで向かい側に座っていた叔母が、一番大事なことを説明してくれている間中、うわの空で、いつか会ってみたいと強く願いながら「ゆにせふさん」の名前を空で言えるようになる練習をしていたのです。
 せっかく名前だけは、何回訊かれても即座に答えられるようになっていたのに、他のお友達とは違って、まぼろしの「ゆにせふさん」という人だけからは、何度手紙を出しても絶対に返事が返ってこないと知ったその夜、私は、早速小学校の図書室へ行ってみることにしました。

 <次回に続きます。> 
 
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忘れられない人々 7.東京からの小包

 叔母の婚約者のOさんと別れて仙台駅から帰途に着き、普段通りの生活に戻ってから間もなく、叔母が東京で箱に詰めてくれた荷物が届きました。
 茶の間の電気の下で、茶色い段ボール箱を開けていた母を囲んで正座していた姉妹たちは、丁寧にテープをはがし終えた母が、蓋を開けてついに中身が見えるようになると、急に身を乗り出して箱の中をのぞき始めました。
 母は、あちこちに折り目がついている包装紙にくるまれた、小さなお土産の包みの上に書かれた姉妹全員の名前を、張りのある声で次々に読み上げながら、私の姉妹たちにお土産をひとつずつ渡していました。驚いたことに、私も母に名前を呼ばれました。中には、デパートで自分の分の買い物だけしかしなかった私の分のお土産まで入っていたのです。
 
 母は、きれいにたたんで中に入れられた段ボール箱の衣類を、そのまま取り出すと、箱の横にていねいに重ねて置きました。お土産を全員に配り終えた頃に、私がデパートで買ったアドレス帳が入った薄い包み紙が出てきました。母が、私の名前を呼びました。
 他の姉妹たちへのお土産の包装紙には幾重にも折り目がついていたのに、私が自分だけのために買ったお土産が包まれたデパートの包装紙は、どう見ても新品でした。
 私は、母が渡してくれた包みをつかむと、思わず立ち上がってしまいました。
 
 茶の間にいた誰かが、それが何なのかを知りたがりましたが、私は返事をせずに、卓袱台の横に突っ立ったまま、叔母が大事にしていた古い包装紙に包まれたお土産のほうを先に、叔母に教えてもらったように、テープの後が残らないようにゆっくりと爪の先のほうで開けてみました。テープで紙がはがれないように、上手に開けることができました。
 包みを開いてみると、中には、私の名前の上から2文字だけをひらがなで刺繍した肌着が入っていました。
 
 ガーゼのように柔らかな肌触りの下着を手の平でさすって、刺繍糸で縫いつけてある自分の名前を何回か左手の人差指でなぞりながら、成城の道の真ん中に棒立ちになって教会の屋根を見つめていた私に早く渡るようにと促したり、大家さんの畳の部屋でてきぱきと洋服をたたんだり、宝物が入った箱の中から自分が大切にしていた物を次々と取り出して私の目の前に並べたり、夜になると私より先に寝てしまい「早く家に帰ってKといっしょの布団に寝たい。」とか「Mちゃんはさびしくないかな。」とか思うとなかなか寝付かれなかった私の横で、マリア様のような穏やかな顔でぐっすりと眠っていた叔母が、いつの間に3人分の下着に刺繍をして箱に詰めてくれたんだろう、と思いました。
 ばんやりと物思いにふけっている私に、父が、私が手に持っていたデパートの包み紙を開けてみれば、と言いました。ビリビリと包装紙を破いて中身を取り出して父に見せながら、デパートでの私の思いつきを話すと、父は、私をがっかりさせるようなある事を教えてくれたのです。

 <次回に続きます。> 
 
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忘れられない人々 6.八木山のOさん

 叔母はドアを押し開けて、そのお店の中に入って行きました。店内の奥のほうにあるテーブル席に座ってしばらく待っていると、入り口から入って来たお客様が、私たちが座っていたテーブルに近づいてきました。
 テーブルを挟んで私の向かい側に座っていた叔母は立ち上がり、私にも席を立つように促すと、テーブルの横で立ちどまった男性に話しかけました。「せんだいのOさん」という方でした。
 叔母は、自分が座っていた席をOさんに譲ると、うれしそうにOさんとおしゃべりを始めました。
 二人の会話には何度も「うえの駅」が出てきました。私は東京駅から仙台に向かったと思い込んでいたのですが、叔母と私は、どうやら上野駅から仙台に向かったようでした。叔母が上野の話をしていた時、Oさんは私に、「うえの」で動物園へ行ってきたかどうかを訊きました。私たちが動物園へ行かなかったことがわかると、Oさんは、仙台にも遊園地があるから時間があったら私をそこへ連れて行く、と約束してくれました。
 
 そこはOさんのアパートだったのでしょうか。窓辺の桟に腰かけて外の景色を見ていた私が、もっと遠くのほうまで見ようとして立ち上がってぐっと窓の外に身を乗り出した時、左手をかけていた窓ガラスの外にはめてあった網戸が外れて下に落ちてしまいました。
 ばつが悪くなってうつむいていると、その網戸はよく落ちるんだ、と言いながら取りに行った網戸を手際よく窓の桟にはめなおしたOさんは、約束通りこれから遊園地へ連れて行くと言ってくれました。そして、ベッドの脇のテーブルに置いてあったブレスレットを見ていた私の手の平にそれをのせて、叔母に向かって「女の子には何をプレゼントしていいかわからない。」と言いながら、私にその腕輪をあげると言いました。
 
 変な模様の腕輪だな、と思いながらじっと手の平のブレスレットを見つめていると、Oさんは、それが、日本の昔のお金をまねて作られていること、安い物だし本物のお金ではないことなどを教えてくれた後で、「おとなにも子どもにも、ほんとうはお金なんかいらない。」と、大真面目な顔つきで付け加えたのです。
 私は、Oさんの大きな瞳をまじまじと見つめました。子どもにはお金はいらないと言うセリフは前にも大人から聞いたことがあったような気がしましたが、大人にもお金が要らないなんて言う大人に出会ったのは、生まれて初めてでした。
 お金として価値がないというそのブレスレットに再び目を落とした私は、毎晩お店を閉める前に、金庫を開けて、そろばんをはじきながらその日の売り上げを帳面に付けている祖母の姿を思い浮かべました。そして、東京の大家さんの家の畳の間に正座し「デパートのきれいな包装紙は、ゆっくりとテープをはがしてから、こたつにはさんでまたつかってね。」と言いながら、段ボール箱に入りきらないほどの衣類や葉書きや便せんのセットや折り紙を詰めていた叔母の姿を思い出しました。
 
 私は、東京に経つ直前に、母に内緒で祖母にねだって近所の洋品店で5000円のよそ行きのワンピースを買ってもらったことや、東京のデパートで高価なアドレス帳を買ってしまったことを、その時初めて後悔しました。
 そして、ブレスレットから顔を上げてもう一度Oさんを見つめると、心から「わたし、この人、気に入った。」と思ったのでした。
 
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<次回に続きます。>

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