クレマチスの葉っぱの陰に
こんなちゃっちゃな巣があったよ
巣の中には
4つのたまごがあったよ
きれいな色だね
新しい命を包む色なんだね
* * * *
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クレマチスの葉っぱの陰に
こんなちゃっちゃな巣があったよ
巣の中には
4つのたまごがあったよ
きれいな色だね
新しい命を包む色なんだね
* * * *
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はーい、一列に並んでね。
みんながわたり終えるまでまってるから、ゆっくりとわたってね。
そして、みんな仲良くね。
いいね。
とてもいいね。
ここには、気持ち良い風が流れているね。
* * * *
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数年前まで、私の家から少し離れた農村部に、町はずれの刑務所で看護師の仕事をしているカナダ人の友人が住んでいました。彼女は、50エーカー以上の土地の一角に羊を飼い趣味でウールのひざ掛けなどを作りながら暮らしていました。看護師の資格を取る前に専門的にテキスタイルを学んだというだけあって、室内装飾やカーテンやソファーの生地や色合わせにこだわり、フィラデルフィアの建築会社で働くアメリカ人の建築家の夫と二人で、リビングルームの床板を張ったり壁にペンキを塗ったりしながら、自分の発想を日々の暮らしの中で見事に具現化させながら人生を謳歌しているのでした。
私が彼女に初めて会ったのは、日本から越して間もない2001年の冬、新しい学校に転校したばかりの長男が「学校のカフェテリアで『スーシー(「ス」にアクセントを置きます:寿司)が大好きだ。』という子としゃべれて、とてもうれしかった。」と言いながら帰宅した数日後、寿司が大好きなその子が、週末に息子を家に招待してくれ、母親であるJと中学生になったばかりの彼女の娘が息子を迎えに来てくれた時のことです。
子どもたちをお互いの家に送り迎えしているうちに意気投合し、そのうちJと私は、一緒にランチへ出かけるようになりました。カナダのノヴァスコーシャ出身の彼女は金髪碧眼で英語を母国語としていても、「ここではあまり親しい友達ができない。とても閉鎖的な土地柄で、娘も仲良しの友達ができない。」と、しばしばこぼしていました。ふたりでどこかへ出かける時彼女はよく「移民」という言葉を使ったものでした。プライス・ライトという食料品店に出向いた時も - そこは商品の値段が非常に安価でメキシコ料理の材料となる品揃えが豊富なせいか、南アメリカからアメリカ合衆国に移住してくる買い物客が多い場所なのですが— 、そこでも「ここには私達のような移民が多くいるのね!」と感嘆の声をあげていました。
ある日の午後、いつものように二人で掘り出し物がないかどうかグッドウィルを覗いて、行きつけのチャイニーズ・レストランでランチを堪能した後、彼女の牧場で羊に餌をやっていた時のことです。
Jは、「そうだ、M。私ね、知り合いにジャーマンアイリスとホスタスを沢山もらったのよ。あなたにも株を分けてあげるから、バケツに水を張ってその中に入れておいて、2,3日中に土に植え替えるといいわ。このギボウシという植物は少し大きくなったら、根っこごと切り分けて移植しながら増やしていくといいのよ。」と言うと、ボルボの後ろに牽引車を取り付けDIYのお店から自分で運んだ何トンもの土と根覆い用のマルチを積み上げて作った花壇から、球根から生長して花が咲く直前のジャーマンアイリス何本かと小さなギボウシの株を掘り起こして、少しずつ分けてくれました。
帰宅した私は、早速土を掘り起こしてせっせと小さな株を植え始めました。その秋には、少し大きくなったギボウシを、言われた通りに根っこごと半分に分けて別の場所に植え付けてみました。
そして、翌年も、そのまた翌年も。。。
私の株はどんどん増えていきました。Jがフロリダに家を買い、両方の家を行き来しながら暮らすパターンを続けそのうち向こうで生活するようになってしまってから再会することはなくなりましたが、彼女がくれたギボウシは、今では車庫から玄関へと通じるウォークウェイ沿いに家を囲むような形で42株に増え、裏庭のほうも30株ほどに増えました。玄関前のは真上から見ると直径が80センチ、花をつけると高さも140センチほどのジャンボサイズに成長したので、遠くから眺めてもかなり圧巻です。
先月咲き始めたギボウシの小径を眺めながら夫は、しみじみと「ボクの方のストックマーケットの株はさっぱりだけど、家の前の株は見事なものだ。Mちゃん、株は、君が増やせばいいよ。」と、のたまうのでした。
末息子の誕生日が近づいた5月末のある日の午後、息子が愛用していた走行距離214000マイルの日本車M社のSUVをパワーウォッシュで洗浄していたときのことでした。
私は、毎年一家で過ごしたオーシャン・シティ(東海岸デラウェア州にある海岸)の海辺でのサマー・バケーションの風景を懐かしく思い出しながら、今では遠くの町で暮らす次男のお気に入りだった赤と白の縦縞のシャツを彼のクローゼットから取り出してきて、去年バーゲンで買ったばかりのG社のキッズ用の、紫色を基調とした原色だけの大胆な草花のデザインをあしらったサマードレスの上にあわせて、水圧をあげてSUVのルーフトップを洗っていました。
洗車を始めてしばらく経つと、私から15メートルほど先のガレージの入り口のところに、夫が静かに立っているのに気がつきました。もしかすると彼も遠くに行ってしまった子どもたちのことを案じて寂しがっているのだろうか、と思った私は、目深に被った麦わら帽子で隠れていた顔をあげると元気よく日本語で「どうしたの~っ、Pく~んっ(夫の愛称)?!」と、SUVのルーフよりさらに高いところから、彼に呼びかけました。すると、夫は笑顔を見せて「かわいいヨ、Mちゃん。」と、日本語で答えました。
こんなことが口をついて出るなんて、やはり夫は、次男の愛車を見ながら悲嘆にくれているに違いありません。私は脚立代わりに使っていたバー・スツールから、よいしょと降りてパワーウォッシュを一旦止めると、帽子を脱ぎながら夫の方へ近づいていきました。
夫は、右手に持っていた携帯電話のカメラの画面に目を落としたまま私に向けて「ほらア、かわいいヨ。」と、もう一度言いました。どうやら彼はしばらくそこに立ったまま、目深に被った帽子の向こうの景色が見えない私が時間をかけて息子の愛車を洗っている様子をカメラに収めていたようなのでした。
子どもたちがそれぞれに独立していなくなってしまった今、ついに夫とふたりだけになってしまい、写真を撮る時も撮られる時も一人ずつ、そうでなければ、庭の草木や小さな動物達や周りの自然の風景だけになってしまったのだ、これからはここでふたりきりの余生を歩んでいくのだと思うと、一抹の不安と虚無感が混ざり合った複雑な感情が一気に込み上げてきて、思わず涙がこぼれそうになりました。それでも、買い換えたばかりの携帯電話のカメラの性能が思いのほかよかったことを思い出しながら、ぐっと涙をこらえて着ていた息子のシャツで両手を拭うと、どれどれ、と言って、カメラの画面をのぞき込みました。
ところが、彼の撮った写真を全て見終わらないうちに、私は「一体何これ?」と問いただしてしまったのです。
高品質のはずの画面には、5年以上前のビーチ旅行のために次男に買ってあげたゴム草履をはき、オーシャン・シティのプロのサーファーも顔負けするほどの水しぶきをあげながら、脚立代わりに使っていた古いバー・スツールの上で前のめりになってシルバーのポンコツSUVを洗車している私の姿が写し出されているではありませんか。
笑顔の夫は「ね、かわいいでしょう。」を繰り返します。
私は思わず、「かわいいって・・・一体何これ?これじゃあ、ミート・ザ・ペアレンツ2に出てきたバーニーじゃない。」と言い返してしまいました。
写真に写っている、紫や赤や緑といった原色使いの大柄な葉っぱのデザインのワンピースの上に、ブカブカの次男のシャツを法被のように羽織り、ゆうに頭のサイズの2倍はある麦わら帽子を乗っけて、すぐにでも粗大ごみとして処分したほうがよさそうなバー・スツールの上に立つ自分の姿がどう見ても、なぜか映画の中で ― はたして、あの映画の中にそんな場面が出てきたかは疑問ですが ― 家中のどこに座っていても摩訶不思議なお香の匂いが今にも漂ってきそうなエキセントリックな雰囲気が漂う居住空間の中で、ヒッピー風の突飛な装いでコミカルに演技を繰り広げる日焼けしたダスティン・ホフマン扮する父親バーニーの姿に重なってしまったのです。
先刻は、子どもを案じ涙ながらに彼の愛車を洗車していたのに、これではどう見ても、かつて横浜のランドマークタワーで週末の度に見かけた大道芸人か「息子がついに出て行ってくれたの~、ばんざーい。」と諸手をあげて喜んでいる浮かれた母親にしか見えません。
夫の美意識を疑いながら、「Pくん、日本語ではね、こういうの、『かわいい』っていわないで、『ちぐはぐ』というの。『チンドン屋みたい』とかね。大体洋服の柄がシャツとドレスじゃ全然マッチしていないし、よれよれでちっとも綺麗じゃないじゃない?しかもゴム草履でこんなガタピシ来ているスツールの上に立っているところじゃなくて。。。普段の、わたしがもっとふつうのときの写真、撮ってくれない?」と言うと、夫は入れ替えたメモリーカードに入っていた他の画像も見せてくれました。
アルバムの中の自分は、ある時は塀の上によじ登ってアメリカン・ロビンの巣があるトランペット・バインの上から蔓の中の巣を覗きこもうとして顎にぴたりとカメラをくっつけて構えていたり、またある時は、枯れ果てたトウモロコシ畑で黒子さながら頭のてっぺんからつま先まで真っ黒な装束に身を包みしゃがんだ姿勢で枯れた葉っぱに向かって話しかけていたり、どれもこれもちょっと異様なのです。私は自分の目を疑いました。
これが自分の実像だったとは ― 。
アルバムを見終って落胆する妻を励ますため、夫は一言「要するに、君はとてもアバンギャルドな奥さんだってわけなんだよ。」と言うと、小柄な私の肩をポンポンポンと軽く叩いて、再び洗車のためにバースツールに戻る妻の労を、心からねぎらうのでした。
毎年夏の終わりになると、次男が薪割りをしてくれたものですが、彼が遠くの町へ越していってしまった今、今年はいったいどうしよう。。。物思いにふけりながら、かつて子どもたちが遊んだツリーハウスの周りを散策してみます。
2001年に1エーカーのこの土地を購入した時、あたりは一面雑木林だったので、家を建てるためには、林の樹木を伐採して着工を始めなければなりませんでした。伐採したカシの大木は数本をのぞいて業者に引き取ってもらい、冬場はセントラルヒーターをなるべく使わず、残った木で薪を割っては暖炉にくべて暖をとっていました。
数年前に裏庭にプールを作った時に再び数本伐採してもらい、何等分かに切リ分けられたばかりの重たい幹を、夫と息子たちが二日がかりで片付けて、ここが次男の薪割りの作業場になったのです。薪割りをしては積み上げて、冬場になると少しずつ手押し一輪車に乗せて移動しガレージ前に重ねていきます。
思えば、夫が、我が家の完成を待たずに倒産し夜逃げ同然に姿を見せなくなってしまった施工会社に見切りをつけて、自分でキッチンの床タイルを張ったりガレージの上に床材を敷いてくれたりしてから、早10年が経ちました。
「わあ、歪んでいるけどいい味が出てる。」とか「こういう色合い、T市(母の実家のある場所)のグランマの家の床の色みたいでなんだかふるさとを思い出す。」などと言っているうちに、夫は、少しミスをしても「わびさ~び(『さ』にアクセントを置きます)」と気を取り直し、わざわざフィラデルフィア郊外まで出かけて錬鉄のドアノブを購入し、古き佳き入植時代のアメリカを彷彿させるコロニアル風のドアまで完成させてくれました。
ある日は、「ドアも作れるんだから、あなた、もしかすると家具も作れるんじゃない?」と言って出かけ、夕方出先から戻ってみると、リビングルームの中央には、まあなんとお茶目な切り株作りのテーブルが鎮座しているではありませんか。
「テーブルの表面のやすりのかけ方が十分じゃない、デコボコしている。」などと言って首を傾げては、夫は満足がいかない様子でしたが、普段はヤードセールの5ドルないし10ドル程度の家財道具で済ませている貧乏性の妻にとっては、とても大切な宝物となりました。
このテーブルを、わたしは「エレファント・レッグ(ゾウさんの足)」と呼んで日々愛用しています。

裏庭から次男の薪割り場を眺めます。
脚は3本ですが、見るたびにぞうさんの足を思い出すのです。