不思議の家の物語 2.

 

 例年になく気ぜわしく過ごした感の残る2014年でしたが、年が明け、平穏なお正月を迎えて数日が過ぎたある夜のことでした。
 一段落ついたので仕事部屋からリビングルームへ続くドアを開けるや否や、唖然として立ち尽くしてしまいました。
 これほど驚いたのは、クリスマスの直前に夫が私を喜ばせようとして、我が家の外壁にスポットライトをあてるために内緒で購入してきて、玄関前に設置してくれた意味深な「赤と緑のクリスマス・ライト」を見て以来です。
 
 街中が、クリスマスのイルミネーションでゴージャスに輝く中、カントリーサイドにぽつりぽつりと建つ近隣の家々の中で、二酸化炭素の排出量の削減に貢献すべく電球形蛍光灯3個のみで家の外壁を照らしているのは我が家だけ。
 ご近所の庭先には、新年が明けて1週間経つ今でも煌々とイルミネーションが輝いていますが、家の内外を飾ることを好まない夫は、夜になると信号機よろしく(日本語の場合は「赤」と「青」と表現しますが、英語では「青」でなく「緑(グリーン)」です。)不可思議な光を発光している(実物の信号機と異なる点は、「赤」と「緑」が同時につく点です。)3つの電球も、年明け早々に片づけ始めていました。 
 
 7、8年も前になるでしょうか ― 玄関のドアをペンキで風変りな明るい色彩の緑色に塗ってしまった際に、ご近所の奥様に言われた台詞を思い出しながら、きっと彼女も私と同様、今頃、我が家の庭から信号機ライトがなくなったことに、ほっと胸をなでおろしているに違いないと思ったのも束の間、リビングルームの隅の小ざっぱりと片づいた机の上に異様な空気を醸し出す赤ランプを満足そうに眺めながら、夫は、「何だか雰囲気良いね。」と同意を求めてきます。

 ― 雰囲気が良い?

 ごてごてと飾るのが趣味ではないと豪語する夫の、このお茶の間の空間の演出の美的センスに度胆を抜かれ、閉口したまま「あのライトはいつまであそこで輝き続けるのだろう。電球形蛍光灯は1、2年は持つんじゃなかったっけ?」などと思いを巡らせながらリビングルームを出て仕事部屋のドアをぴしゃりと閉めると、私は、雑音が一切封鎖された状態になるようにしっかりとイヤフォンを付けて、小澤征爾さんが指揮するスイスの「小澤征爾インターナショナル・アカデミー」の皆さんが奏でる「弦楽セレナーデ」を聴き始めました。そして、再びコンピューターの画面とにらめっこしていると、夫が部屋に入ってきました。
 スクリーンから目を離さずに、左耳からイヤフォンを外して右耳だけで曲を聴きながら私が呟いた小言を聞いた夫は「え?いま、誰の奥さんになりたかった、って言った?」と訊き返しました。
 「『チャイコフスキーが生きていたら、絶対に彼と結婚していたと思う。とても気が合いそうだし。1600年代だったらバッハだけど。』と言ったの。」と繰り返すと、夫は、蔑むようにくっくっくっと笑い、「君は一言もロシア語が話せないんじゃないのかい。何かロシア語で言える?例えば『ハロー』とか?」と訊きました。
 言われてみると、「ハロー・・・?『ハロー』は言えない。」けれど「一言も言えないわけでもないのよ。『マトリョーシカ』は言えるし。」と小声で抗議はしたものの「さて、人様の美的感覚を語る前に、自分の才能は?」と思ったところで急に我に返り、左耳にもしっかりとイヤフォンを固定すると、現実と向き合うべく、再びコンピューターの画面に視線を落とすのでした。

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