忘れられない人々 6.八木山のOさん

 叔母はドアを押し開けて、そのお店の中に入って行きました。店内の奥のほうにあるテーブル席に座ってしばらく待っていると、入り口から入って来たお客様が、私たちが座っていたテーブルに近づいてきました。
 テーブルを挟んで私の向かい側に座っていた叔母は立ち上がり、私にも席を立つように促すと、テーブルの横で立ちどまった男性に話しかけました。「せんだいのOさん」という方でした。
 叔母は、自分が座っていた席をOさんに譲ると、うれしそうにOさんとおしゃべりを始めました。
 二人の会話には何度も「うえの駅」が出てきました。私は東京駅から仙台に向かったと思い込んでいたのですが、叔母と私は、どうやら上野駅から仙台に向かったようでした。叔母が上野の話をしていた時、Oさんは私に、「うえの」で動物園へ行ってきたかどうかを訊きました。私たちが動物園へ行かなかったことがわかると、Oさんは、仙台にも遊園地があるから時間があったら私をそこへ連れて行く、と約束してくれました。
 
 そこはOさんのアパートだったのでしょうか。窓辺の桟に腰かけて外の景色を見ていた私が、もっと遠くのほうまで見ようとして立ち上がってぐっと窓の外に身を乗り出した時、左手をかけていた窓ガラスの外にはめてあった網戸が外れて下に落ちてしまいました。
 ばつが悪くなってうつむいていると、その網戸はよく落ちるんだ、と言いながら取りに行った網戸を手際よく窓の桟にはめなおしたOさんは、約束通りこれから遊園地へ連れて行くと言ってくれました。そして、ベッドの脇のテーブルに置いてあったブレスレットを見ていた私の手の平にそれをのせて、叔母に向かって「女の子には何をプレゼントしていいかわからない。」と言いながら、私にその腕輪をあげると言いました。
 
 変な模様の腕輪だな、と思いながらじっと手の平のブレスレットを見つめていると、Oさんは、それが、日本の昔のお金をまねて作られていること、安い物だし本物のお金ではないことなどを教えてくれた後で、「おとなにも子どもにも、ほんとうはお金なんかいらない。」と、大真面目な顔つきで付け加えたのです。
 私は、Oさんの大きな瞳をまじまじと見つめました。子どもにはお金はいらないと言うセリフは前にも大人から聞いたことがあったような気がしましたが、大人にもお金が要らないなんて言う大人に出会ったのは、生まれて初めてでした。
 お金として価値がないというそのブレスレットに再び目を落とした私は、毎晩お店を閉める前に、金庫を開けて、そろばんをはじきながらその日の売り上げを帳面に付けている祖母の姿を思い浮かべました。そして、東京の大家さんの家の畳の間に正座し「デパートのきれいな包装紙は、ゆっくりとテープをはがしてから、こたつにはさんでまたつかってね。」と言いながら、段ボール箱に入りきらないほどの衣類や葉書きや便せんのセットや折り紙を詰めていた叔母の姿を思い出しました。
 
 私は、東京に経つ直前に、母に内緒で祖母にねだって近所の洋品店で5000円のよそ行きのワンピースを買ってもらったことや、東京のデパートで高価なアドレス帳を買ってしまったことを、その時初めて後悔しました。
 そして、ブレスレットから顔を上げてもう一度Oさんを見つめると、心から「わたし、この人、気に入った。」と思ったのでした。
 
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<次回に続きます。>

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忘れられない人々 5.列車の窓

 大家さんの二階で荷作りを済ませ、帰り支度を整えた私は、叔母といっしょに電車を乗り継いで、東京駅に向かいました。
 最後の乗り換えをした後、列車の窓際に座っていた私は、通路を隔てて反対側の窓の外の景色を眺めていました。あちこちで交差したり一本に交わったりしながら複雑に入り組んだ線路の上で、他の車両とぶつからないように身をかわしながら進んだり後退したりして、うまい具合に進行方向を見つけてすいすい動く車両の群れをぼんやりと見ているうちに、私は、数年前に母方の祖父母の住む家の前の駅のホームで見た光景を思い出しました。

 小さな町から大きな町へと引っ越して行ってしまう男の子とその子の家族は、列車に乗り込んで座席に着くとすぐに、頭の上ぎりぎりまで重たい窓を引き上げて、窓の外に身を乗り出すようにして、ホームに立っていたわたしたちに向かって、手を振り始めました。
 保育園でヒヤシンスの栽培をした時に、向かい合わせにくっついていた机の隣りあたりに座っていたその子とは、話をする機会もあまりなく、男の子のおとうさんの方は、少し前に開かれた送別会で、嬉しそうにはしゃぐその子をおんぶしている姿を、一度見かけたことがあるだけでした。
 走り始めた列車が次第に遠のいても、窓の外に顔を出したまま手を振り続けていたその家族の顔が、完全に見えなくなってしまった時、それまでこらえていた私のまぶたに、急に涙があふれました。
 ぽろぽろと頬を伝う涙を母の前掛けの袂で拭いてから、顔を上げてみると、そこには、私以外泣いている人はひとりもいませんでした。母でさえ、にこにこと笑いながら、ホームに見送りに来ていた大人たちとおしゃべりをしていたのです。 

 東京の駅で、くすんだ列車の窓の外に見える線路の数を数えていた私は、ふと、あの時駅のホームでお別れをしたあの家族は、一体どこへ行ってしまったんだろう、と思いました。

 何時間経っていたのでしょう。わたしが眠りから覚めた時、列車は仙台駅に着いていました。私と叔母を乗せた列車は、わたしがぐっすりと眠っている間に、私たちふたりを、叔母の婚約者の住む町へと運んでくれていたのです。
 
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<次回に続きます。>

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