今日は大変暑い日なので、庭仕事に一段落ついた後、フェースブックのDIY Homedecoratingのエスプレッソで作るアイスキューブのアイディアを思い出し、久しぶりにアイスコーヒーを淹れてみることにしました。
 コーヒーといえば、日本の実家の父ほどおいしいコーヒーを淹れる人に出逢ったことはありません。コーヒーの淹れ方にこだわりのある父を思い出しながら、夫もよくコーヒーを淹れてくれるのですが、コーヒー豆なのか水なのか淹れる人の技なのか、父の淹れるコーヒーは格別の味わいがあるような気がします。

 ところで、今日アイスコーヒーを淹れながら、私達一家がまだ日本に在住していた折、アメリカ人の夫の両親が2週間ほど滞在した際に起きたある事件を思い出しました。
 この事件については、過去にブログで「コーヒーを拒んだアメリカ人の話」と題して2回にわけて紹介したことがあったのですが、数年間ハードドライブにしまい込んだままだったので、今日あらためて読み返してみると当時の出来事が次々と思い出され、胸が熱くなりました。
 以下に数年前に書いた「コーヒーの注文を拒んだアメリカ人の話」を抜粋し掲載しますので、お時間がありましたらぜひご一読ください。

   *     *     *     *     *

 

 横浜へ引っ越す前に、私たちが住んでいた葉山の借家の二階の窓からは、海岸線が眺望でき、晴れた日には富士山も見晴かすことができました。
 日曜日には、夫と二人で急勾配を徒歩でおりて近所のベーカリーで焼きたてのフランスパンを調達し腕に抱えて帰宅する途中、近所でも評判の喫茶店へ立ち寄ったりしたものでした。
 葉山の家を引き払って、横浜市の根岸の高台の家に住み始めて数ヶ月経った頃のことでした。
 その夏、夫の両親が、オハイオ州から遊びに来ていました。
 子どもたちが全員学校から戻るまで、私が義父母を元町へ連れ出したり海辺にドライブに連れて行ったりして過ごしていました。

 ある日のことでした。
 仕事から帰った夫が、ちょうど夕刻に葉山で用事があった私に、「両親もいっしょに連れて行ってあの店でコーヒーを飲んで時間を潰すよ。」と言うので、私たちはわいわいと車に乗り込んで、葉山に向けて出発しました。
 用事を終えた私を迎えにきた夫に「喫茶店はどうだった?」と訊くと、夫が「ああ、あそこではコーヒーを飲まずに、海岸沿いのデニーズへ行ってきた。」と答えました。
「え?あの喫茶店へは行かなかったの?」と、両親のほうに向き直ると、「あのデニーズは素敵ねえ。とても楽しかったわ。」にこやかな笑みを浮かべながら、夫の母が言いました。
 普段から無口な義父は口を閉ざしたままです。「デニーズでコーヒーを飲んだ。」という夫は、心なしか口数が少なく、祖父母といっしょに座っている子どもたちもいつになく静かなような気はしましたが、「ああ、よかったじゃない、私もあそこのデニーズ大好き。コーヒーもおいしいのよね。」と言うと私は、遠景に江ノ島を臨む逗子海岸沿いに建つデニーズの周辺の海辺の景色を思い浮かべながら、義父母が、そこまで足をのばしてあの辺りの風景を堪能することができたということを喜び、車中、夫の両親と滞在中の今後の計画などを話し合いながら時間を過ごしました。

 帰宅後、両親が二階へ上がってしまうと、夫が「どうしてあそこの喫茶店に行かなかったと思う?」と訊きました。
「さあ。」そんなこと今の今まで知りたいとも思いませんでしたが、夫は普段そんな他愛のないことを質問するような人ではありません。含みのある夫の態度が気になったので、一応「どうしたの。」と訊いてみました。夫は「やれやれ。」と言いながら、デニーズへ出かけることになるまでの事の顛末を、私に語って聞かせました。
 夫の話を要約すると、私がいない間に、こんな出来事が起こっていたのでした。

 葉山の民家風の喫茶店に着いた一家が、通されたテーブルに着くと、夫にメニューが渡されました。
 夫がコーヒーを注文し、父親に何を注文するか尋ねると、父親もコーヒーを注文しました。
 ところが、コーヒーの値段を知った父親が、前言を撤回し「やはり私は何も飲まない。」と言い出したのです。夫は「父さん、ぼくがご馳走するよ。」と言ってコーヒーを注文するよう促しましたが、父親は「こんな高いコーヒーなら飲まなくてもいい。」と言い張ります。すると、父親の顔色を窺った母親も「それじゃ、私も、お水だけ頂くわ。」と言いました。
 夫は、やむを得ず自分のためのコーヒーと、子どもたちが食べたいといった物だけをウェイトレスの女性に注文しました。すると、ウェイトレスは丁重に「お席に着いた方全員が何か注文してください。」と言ったのです。そこで、夫は、両親に「飲まなくてもいいから何か頼んでくれない。」と、根気強く頼みました。お店の方にこの喫茶店の仕組みを説明されても、夫の父が「何もいらない。」と拒み続けたため、義母も何も注文できませんでした。
 こうして、ファミリーは、お冷が運ばれてきたというのに、仕方なくその店を出る羽目に遭ってしまったのです。

 夫の話を聞いた後「本当に、その女の人は、一人一品注文してください、って言ったの?あなたの勘違いじゃないの?」と私が尋ねると、夫は、ウェイトレスが全員に向かって「何か注文するように。」と人差し指を上に向けて立てながらゆっくりとジェスチャーを混じえて促し、しかも、カウンターでマネージャーらしき男性に話をしてから二度目に戻ってきたときも、同様の態度をとったというではありませんか。
 
 夫は悔しそうに、「父さんに、日本の民家はこういう造りなんだってのを見せたかったんだけど、一杯のコーヒーに1ドル以上払ったことがない父さんには、6倍の値段を払ってまで日本建築の勉強などする必要はない、ってことだったのさ。」と毒づきました。

 その数日後、夫の両親は、私の両親の招待で、東北地方にある、とある格式高いホテルに泊まることになりました。
 そして、くだんのコーヒーにまつわる事件は、夫の両親がこのホテルに滞在中に起こったのでした。
 
 実家では、私たち夫婦と子どもたち3人が母屋に寝泊りし、義父母が母屋の前の小さなゲストハウスに滞在していたのですが、ある朝、私の父が、夫の両親のためにホテルの宿泊を予約する、と提案してくれました。
 母屋から離れて静かに眠る場所があるだけでも有難いのに、皇室御一家がご静養のためにご利用されるあのホテルに一泊なんて、なんて粋な計らいでしょう。
 私たちは、その午後喜びいさんで、夫の両親をそのホテルへ連れて行きました。
 義父母の泊まる洋室には、心地よさそうな羽毛のブランケットが掛かったベッドがふたつあり、窓の外の景色も抜群です。当時ゲストハウスには風呂場がなかったため、義父母は母屋にシャワーを浴びにきていたので、ホテルの部屋の一角に浴室を見止めた義母は、少女のようにうれしそうな表情で顔を綻ばせました。
 ゆっくりと和の風情を味わってもらえたら良いね、と、言いながら、夫の両親とわかれ、私たち夫婦と私の両親はホテルを後にしました。

 翌朝。チェックアウトより小一時間早く、私と夫がホテルに着きました。
 夫の両親の泊まった部屋に入るや否や、義母が、待ってましたとばかりに、昨夜からの愉快な出来事や経験を、微に入り細にわたり喋り始めました。
 昨夜のうちに温泉にも入り、朝食も堪能したという義父は、いつになくうれしそうに満面に笑みを浮かべ、寛いだ表情で義母の話に耳を傾けていました。
 夫も、おもしろそうな様子で、「へえっ、父さん、温泉にも入ったの?母さんも、温泉に入ったの?」などと矢継ぎ早に質問をしています。
 自分は外に出歩かず室内のシャワーを使ったという義母が、「私は部屋でゆっくり過ごしたけれど、父さんったら、夕べもホテルの中をあちこち覗きに行ってたの。朝から浴衣のままで出たり入ったり、庭園を眺めながら回廊を何度も歩き回ったらしいのよ。貴方たちから離れたらじっと部屋にこもるかと思って心配したけど、父さんもとてもエンジョイしてたの。今朝もコーヒーもたっぷりいただいて、ご満悦よ。ほら、コーヒーさえあれば、父さんは機嫌いいでしょ。」と言いました。

「へえ。部屋にはコーヒーメーカーも付いてるの?」と夫が訊くと、「ここにはないけど、ロビーでね。」と義母が答えました。
「父さん、あそこで自分でコーヒーを注文したの?」
「何杯もおかわりしたそうよ。とうさんったら『アリガドー(ありがとう)』が板について、ウェイトレスの女の子がコーヒーを持ってきてくれるたびに『アリガドー』を連発したそうなの。言葉が通じるとわかって、大はしゃぎよ。」
 すると、間髪を入れずに夫が「父さん、コーヒー何杯おかわりしたの?」と訊きました。自分の話す日本語が通じて気をよくしたという父親は、誇らしげに、「小さなカップだから、何杯もおかわりしたかな、10杯は飲んだと思う。」と言いました。
 少し間をおいてから、夫が「10杯。。。それで、父さん、そのコーヒー代は、もう支払ったの?」と訊き返しました。
 すると、義父は、支払いをせずに『アリガドー』と言い残して部屋へ戻ってきた、と言うではありませんか!

 まあ、なんということでしょうか。夕べのうちに、東北地方で何杯おかわりしても値段が一律なのは「わんこそば」だけだということを夫の両親に話しておくべきだったのです。確かわんこそばだったら、例え120杯食べても、追加料金の支払いはしなくて済むはずです。
 
 「アメリカ大統領とか有名俳優ならともかく、一般の宿泊客は、コーヒーの代金を支払わずに部屋へ戻ってはいけない、ということを父さんに言っておくべきだったよ。」両親に背中を向けた夫が、大真面目な顔つきで言いました。
 私は、「もしかすると、ウェイトレスの女性、お義父さんがケニー・ロジャースだと思ったのかもよ。部屋代と一緒に請求がくるとか?」と冗談で混ぜ返しましたが、小さなコーヒーカップに注がれる一杯のコーヒーの代金を知っている夫の表情は青ざめたままです。
 私は、浴衣姿でコーヒーを注文する義父の寛いだ表情と、傍らで「もう一杯如何ですか。」と謹しくコーヒーを勧めるウェイトレスの女性とのやり取りを想像してみました。
 それにしても ― 。一体全体、うちのお舅さんは、どうやって一銭も支払わずに自室へ戻ることができたのでしょうか。

 ふと気がつくと、いつの間にか、そこに私の両親が立っていました。
 夫が黙りこくったままなので暫し沈黙が流れましたが、私は一息に、私の両親に今朝起こった事の顛末を話して聞かせました。
 父はにこやかに「ああ、そう。」「ああ、そう。」と頷きながら私の話を聞いた後、「まあ、いいんじゃない。コーヒー飲み放題のサービスもついたってことだ。」と高らかに大笑いしました。
 
  数分後、一同は、ロビーの円卓を囲んで座っていました。
 ウェイトレスの女性が近づくと、父は、メニューを見ないで、「コーヒーを、6つ、お願いします。」と注文しました。
 窓ガラスの向こうの中庭には、よく剪定された南部の赤松が、重厚な日本建築のホテルの外観に、更なる和の趣を添えているのが見えました。

 
    *     *     *     *     *

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4 thoughts on “コーヒーの注文を拒んだアメリカ人のお話 

  1. ヨセフ(彼)のことを思い浮かべてしまいました(笑)。このお話、以前拝読したような気がします。
    彼は、ケチではありませんが、自分が納得しない対価を払うのは嫌がるみたいです。珈琲も飲まないので、カフェには入らないし、私に付き合って入っても注文しません。日本に来たときは、一緒にいて戸惑うシチュエーションもありました^^
    お義母様同様、女性のほうがフレキシブルですよね。
    一人一点注文と言うのも、わかるのだけど、そこまで徹底しなくてもなぁとおもうことがあります。そういわない場所もけっこうあるので、最近はおおらかになったのか、それとも都会や観光地だけかもしれませんね。

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    1. fujiyoさん、

      このエピソードは、5~6年前にブログに掲載したことがあるのです。
      一概には言えないかもしれませんが、私の周りの日本人の方々には、「例外をつくる」という柔軟性がある方が多いように思いますが、ヨセフさんと同様納得しない対価を払わない、という人々は、アメリカには多いような気がします。

      若かりし頃、夫と彼の大親友と3人で都内で食事をしたとき、大親友が、「自分の飲んだビールの値段が高すぎる」と言って伝票を持ってサーバーの方に不平を言っていたのに驚いたことがありました。
      また、夫自身も、結婚する前、実家の母が出してくれたコーヒーを「ボクはコーヒーは飲む習慣がないですからノーサンキュー。」と言い張り、「お出しして頂いたものには、ノーサンキューではなく、サンキューと言うのが日本の習慣なの。」と言い聞かせたこともありました。

      主人の母も、長女が生まれた後に日本に遊びに来た時、浅草の喫茶店に入った際、義母が注文したかったダイエットコークがなくて姉がコカ・コーラを注文してくれたのですが、手を付けなかったこともありました。

      要するに、自分が欲しないものは無理に注文しないし、手を付けない、というのは、受け入れられるかどうかは別として、合理的な考え方と受け取れるのかもしれませんね。
      それでも、ノーサンキューから始まった夫が今ではコーヒーを淹れるようになり、家族や友人知人に日本の習慣を説いているのを見るにつけ、そのこと自体に、また、私以上に日本的になってしまった夫に歳月の経過を感じ何だかしんみり。。。

      くだんの喫茶店の話に戻りますが、喫茶店のオーナーの方にしてみたら、例えば、お冷ひとつサービスするにしても人件費もお水代もかかりますし、グラスを洗う手間もかかりますから、その辺はお店に入るほうも心得なくてはならないことだったのかもしれませんね。^^

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  2. 実に興味深いお話でした。柔軟性は大事ですね。
    日本人の方がマニュアル通りで柔軟性にかける人が圧倒的に多いと感じてます。
    学校の先生、お役所とかも形式さえあってれば、本質はどうでもいいところがあります。最近の日本のいじめ問題も、いじめの定義までつくって、この項目がないからいじめにあたらないなどという教師や校長がいます。歴史も肝心な意味を教えず、年号を暗記するだけ。
    喫茶店のウエートレスはともかく、マネジャーの判断は完全に間違えています。
    5人分の売上が4人になってもゼロよりはいい。本来、マネジャーはそういう判断をするためにいるのです。日本の場合は自ら判断できない人が多すぎです。
    というか、自ら判断させる教育ではなく、規則に従い、周りを見ながら和を乱さない人間になるよう教育されてきました。正しくても文句をいうと煙たがられます。
    一方、お客(夫)の側が譲歩するつもりなら、義父の分として、他の人が1品追加で頼めばいいだけです。店としては勘定があうので、何の問題もない。日本は形式さえあえば中身はどうでもいいのですから。人数分の注文個数があればいい。
    NYの日本人用カラオケバーは、米国人お断りの張り紙がしてあります。女性が座って、お酒飲んで2-3時間カラオケするだで$200とるのですから、米国人にしたらぼったくりです。問題にならいほうがおかしい。
    悲しいことに日本人は銀座価格に慣らされているから、むしろ安いと思う人が多い。接待費で払うという悪習もあります。最近は接待費削減でその手の価格も下がってきてますが、まだ、高い。私は、取りすぎだと思います。

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  3. 柔軟性は、天性のものなのか育った環境や教育に左右されるものなのか、文化的な背景から育まれるものなのかわかりませんが、なかなか難しい問題ですね。今はアメリカで暮らしているので、私の周りの職場の方や知り合いや友人の日本人の方々にはフレキシビリティがある方が多いですが、日本に住んでいたらまた違うのでしょうか。

    葉山に住んでいたあの当時は、もし私がそのお店のオーナーだったら、お店になんらかのポリシーがあっても、夫と子どもたち3人が何か注文したのなら、4人分の注文があることだしOKとするかな、との想いも一瞬頭を過りましたが、断られたのなら仕方がない、と諦めました。実際、海岸線の別の岸壁に建つ素敵なお店でも、一度食事をしようと思いドアを開けたら、そのとたんに「お子様連れのお客様はお断りさせて頂いています。」と丁重にお断りされたことがありましたから、その後あの辺の飲食店に入る際には、「子どもがいるんですが、よろしいでしょうか。」とうかがってから入ることが多くなりました。快く入れてくださる場所も多かったですよ。

    ニューヨークで、アメリカ人お断りという張り紙の話は初めて聞きました。。。とても驚いています。ニューヨークでは、特にマンハッタンでは、普通の人々が居住する家賃にさえも約80スクエアフィートのバスルーム共有の、キッチン・押入れなしのワンルームのような住まいでも1000ドル、とか、かなりの額を要求されると聞きますから、ビジネスとして商売をすることを考えた時、テナント料だけでなく諸経費を鑑みるとお客様にどんなに高額を要求しても採算がとれないというジレンマが生ずるのかもしれませんね。

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